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攻囲
「攻囲〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
攻囲の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
た六人の同志のうち、小泉主膳は長州の藩兵に加わって北越に転戦していたが、長岡城の
攻囲戦で倒れた。幸田八五郎は、薩の大山格之助の知遇を得て薩軍に従うていたが、これ....
「趣味の遺伝」より 著者:夏目漱石
事が書いてある。「近世の軍略において、攻城は至難なるものの一として数えらる。我が
攻囲軍の死傷多きは怪しむに足らず。この二三ヶ月間に余が知れる将校の城下に斃《たお....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
リンゲン地方の兵力を極端に減少してベルダン以西に主力を用い、パリを大兵力をもって
攻囲した上、更に七軍団(十四師団)の強大な兵団をもってパリ西南方から遠く迂回し、....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
から、勝った信長の軍勢も、暑さで、へとへとに疲れていただろうし、すぐ手数のかかる
攻囲戦に従う事は信長にしても考えたのだろう。元亀は三年で天正と改元した。朝倉が亡....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
を囲んだとき、信玄は信濃に入って、策動したのである。 謙信は、永禄四年春小田原
攻囲中、信玄動くと聴き、今度こそは信玄と有無の一戦すべしとして、越後に馳せ帰った....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
後と覚悟したから、矢丸を惜しまず、木石を落し、器具に火をつけて投げ、必死に防ぐ。
攻囲軍たじろぐと見ると門を開いて突出したが、反撃に支え切れず再び城に逃げ込んだ。....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
武将の間に、戦術上の要害として深刻に考えられて居たかが分ると思う。 一方韮山城
攻囲の主将は織田信雄である。併し城主の北条|氏規は、北条家随一の名将として知られ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ない、自分が嘲笑されているような気がする。昔、ある城将が、容易に城を出ないのを、
攻囲軍が、女の褌《ふんどし》を送ってはずかしめたという話がある。こんなものが落ち....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
アドウ』 林権助『わが七十年を語る』*『猟人日記』*小宮『漱石襍記』 木村『旅順
攻囲軍』 ツルゲエネフの*『散文詩』 (八) 一九三六・一〇・二一 百合子へ ....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
囲を徐々にとり囲み引き締めてゆく恐るべき帯が、上からはっきり見て取られただろう。
攻囲された一郭は、もはや一種の恐ろしい洞窟《どうくつ》にすぎなかった。そこではす....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
ールは言った、「しかしだれが取りに行くんだ?」
実際蒲団は防寨の外に、防御軍と
攻囲軍との間に落ちたのである。しかるに砲兵軍曹の死に殺気立った兵士らは、少し以前....
「明治の戦争文学」より 著者:黒島伝治
のである。日露戦争に弾丸の下に曝された一人の将校によって書かれた。そこには、旅順
攻囲戦の戦慄すべき困難と愛国的感情の熱烈な無数の将校の犠牲の山が書かれている。所....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
また奥州すなわち日の本の義から取った名称であるに他ならぬ。また豊臣秀吉が小田原城
攻囲の際、天正十八年五月一日附けを以て、その妻すなわち大政所へ遣わした消息には、....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
ンの一軍がフランダースから進撃してきた、カレイを包囲し、外郭を破壊したのである。
攻囲軍の銃砲の唸りは――カムデンの記録によれば――グリイヌイッチの王宮にまで、は....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
撃も弾薬不充分で目的を達しかねた。ところが墺将ダウンが近接し来たり、巧みに大王の
攻囲を妨げるので大王は止むなく手兵を率いてこれに迫り、六月十八日コリン附近でダウ....