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「政所〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

政所の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大菩薩峠」より 著者:中里介山
れをたらふく鼻の下、くうでんの建立《こんりゅう》に納め奉れば、やがて渋いところで政所《まんどころ》のお茶を一服いただき、お茶うけには甘いところで磨針峠《すりはり....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ほとんど同格に扱われた五人の夫人がありましたことは、あなたも御存じでしょう。北の政所《まんどころ》とか、淀君《よどぎみ》とかを筆頭として、京極の松の丸殿もそれに....
女性崇拝」より 著者:岡本かの子
なか格式を与えて十分な権利を主張せしめている。淀君にうつつを抜かした秀吉が、北の政所に対する態度などにみても相当彼女を立てているところがある。 フェミニストに....
十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
三千人あまり集まって、五十三ヵ村を鳩合して、絹糸改役所という、運上取り立ての悪施政所の、撤廃一揆を起こした事があったが、裏面にあって指揮をした者が、この松平冬次....
言語は生きている」より 著者:中井正一
人の意識を反省し、その意識が自分であることを疑ってはいない。 そして、秀吉の北政所への手紙に、「きづかひ候まじく」と出て来るのである。そしてこの庶民から上った....
魔都」より 著者:久生十蘭
をせせるやら、あげくの果てはベルモットを持って来いのコーヒーを沸かせのと、とんだ政所《まんどころ》なんで御座います。襟垢のついた紋羽二重の長襦袢を一ン日中引摺っ....
釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
《つきよみ》日読《ひよみ》の大御神、当国の霊社には日本六十余州の国、すべての神の政所《まんどころ》、出雲《いずも》の国の大社《おおやしろ》、神の数は九万八千七社....
国号の由来」より 著者:喜田貞吉
。また豊臣秀吉が小田原城攻囲の際、天正十八年五月一日附けを以て、その妻すなわち大政所へ遣わした消息には、「小たはらの事はくわんとう(関東)ひのもと(日の本)まで....
法然行伝」より 著者:中里介山
即ち撰択本願念仏宗《せんじゃくほんがんねんぶつしゅう》である。 十九 月輪殿北政所《つきのわどののきたのまんどころ》も同じように法然を信じて念仏往生のことを尋....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
体俊成の出た御子左の家は御堂関白道長の子|長家から出た。道長には倫子と高松殿と北政所が二人あるといわれたほどであったが、やはり嫡妻倫子腹の頼通の子孫から近衛・九....
私本太平記」より 著者:吉川英治
安藤季長や同苗五郎らが、一族同士の合戦におよぶまでには、しばしば相互から、鎌倉|政所へ直々の訴えに出ていたのだが、内管領の高資は多年にわたって、両者のどっち側か....
私本太平記」より 著者:吉川英治
は近づいた。 かねがね、噂もなくはなかったが、足利、赤橋両家の婚礼が、いよいよ政所告示にもなり、また、執権高時から両家への正式な祝いの使者を見るやら、忙しげな....
私本太平記」より 著者:吉川英治
彼の脚のさきの遠くに、平伏していた。 「おるす中といえ、急使の飛状は、その都度、政所にて、ご処理でございますが、なにか、一刻も早く、お耳に達せねばならぬ火急と伺....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
ついては、わずかに岩橋小弥太君から示された『応安嗷訴記』の、 応安元年八月廿五日政所集会議曰、 重可事 来廿八日神輿入洛事、三塔既令事。 とある記事を知るの....
濫僧考補遺」より 著者:喜田貞吉
わち濫僧供のしばしば行われた事は、前考にも述べておいたが(九巻三、二号二頁)「執政所鈔」三月十五日春日御塔唯識会始事の条に、人供の中に、 了歟。 とある文を見出....