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敗報
「敗報〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
敗報の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「恩を返す話」より 著者:菊池寛
来、絶えて使わなかった陣刀や半弓の手入れをし始めた。 松倉勢《まつくらぜい》の
敗報が、頻々と伝えられる。しかし、藩主|忠利侯《ただとしこう》は在府中である上に....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
康である。元康は五月十九日の朝、丸根を陥した後大高に居ったが、晩景になって義元の
敗報が達した。諸士退軍をすすめたが、元康|若し義元生きて居たら合わす顔がないとて....
「李陵」より 著者:中島敦
傷ついて将を失った四百足らずの敗兵となって辺塞《へんさい》に辿《たど》りついた。
敗報はただちに駅伝《えきでん》をもって長安《ちょうあん》の都に達した。 武帝《....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
ろう。 しかるに出先の軍隊から急報があって、上下一同に色を変じたのは、大島郡の
敗報である。後で聞けば、長州方には大島郡に幕布方が討ち入ったと聞いたので、それは....
「三国志」より 著者:吉川英治
されました」 「三陣も!」 「残念。中軍もかき乱され、危うく見えます」 刻々の
敗報である。 そして、敵の華雄軍は、長い竿の先に孫堅の朱い※をさしあげ、罵詈悪....
「三国志」より 著者:吉川英治
いて寿春を出で、敵を途中にくいとめんとしたが、 「先鋒の味方あやうし」 という
敗報がすでに聞え渡ってきた。 と、思うに、 「味方の先鋒の大将|橋※は、惜しく....
「三国志」より 著者:吉川英治
彼のその顔も暗澹として、毛穴もそそけ立つばかり不安な色を呈して来た。というのは、
敗報をうけた曹操が、小癪なる呉の舟艇、一気に江底の藻屑にせん、と怒り立って、その....
「三国志」より 著者:吉川英治
仮借なくこれを追い込み、崔禹の首を刎ねて、いよいよ威を示した。そして序戦二回の大
敗報は、やがて呉の建業城中を暗澹とさせた。 「王、さまで御心をいためることはあり....
「三国志」より 著者:吉川英治
でいた。 渭水の早馬は櫛の歯をひくように洛陽へ急を告げた。 そのことごとくが
敗報である。 魏帝|曹叡は、色を失い、群臣を会して、誰かいま国を救う者はなきや....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
「いや」 と、塩田陸奥がこんどはいう。 「昨夜らい、六波羅失陥の噂やら、上方の
敗報しきりと聞いて、急に、お味方を捨て去った卑劣なやからは、もう出つくしておりま....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ない。 一日一日、日はすぎた。 朝廷はゆるさず、六波羅はうごかず、ただ東の、
敗報ばかりが、矢つぎ早であった。 するうちに、鎌倉の放抛、直義の敗走、つづいて....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
せでも、一騎と一騎とのたたかいでも、断じて、みちのく勢が強い。 京都では、この
敗報に、大動揺をおこして、一時は、西国落ちの評議まであったというが、これはうそで....
「大谷刑部」より 著者:吉川英治
「平塚|因幡殿も、討死いたしました」 「重政殿も、お見事に」 と、味方の悲壮な
敗報ばかりを伝えた。 「うむ……。うむ……」 刑部の顔には、血膿がながれていた....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
再び掠奪を始め、デゴの寺院すらその禍を蒙る有様であった。 ボーリューは十二日の
敗報を受けてもこれは戦場の一波瀾ぐらいに考え、その後逐次
敗報を得るも一拠点を失っ....