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「散所〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

散所の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
踊る地平線」より 著者:谷譲次
ンで grand luxe なだけだ。が、エア・ハウスというのは空中旅客の市内集散所で、もちろんじっさいの「|空の港」はロンドン郊外サレイ州のクロイドンにある。....
長吏名称考」より 著者:喜田貞吉
の称である。非人等の中には、法師姿をして、何々法師と称していたものが多い。東寺の散所法師とか、右の文書に見える小法師の類みなこれで、これらは沙門と賤者の関係を説....
間人考」より 著者:喜田貞吉
当時の所謂下司法師であった。東寺執行日記貞治二年正月条に、同寺所属の下司法師たる散所法師の事を「間人散所法師原」と書いたところがある。これは明らかにこの下司法師....
無月物語」より 著者:久生十蘭
騎で征伐に出かけるのも仕事の一つだが、そのほか毎夜のように邸を抜けだして安衆坊の散所へ出かけて、乞食どもと滓湯酒《かすゆざけ》を飲みわけたり、八条猪熊で辻君を漁....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ただいてより、太夫にも数日来、しきりと、お待ちうけにござりまする」 「息災かな、散所ノ太夫も」 「は。まずは事なく」 「久しゅう会わんので、儂もこんどの機会には....
私本太平記」より 著者:吉川英治
古市の朝は、舟の櫓音やら車の音で明けはじめる。 ほどなく、散所民のわめき声だの、赤子の泣き声。そして、市の騒音も陽と共に高くなり、やがて型....
私本太平記」より 著者:吉川英治
。どちらも破衣素跣足の親と子である。瞬時、この尺土の上の父子像には、ただの土民や散所民とも何の違いもない血の慟哭が見えていた。 だから深栖や松井の兵にも、それ....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
ぬ事でありました。 これらの河原者と同じ仲間に、産所というのがあります。或いは散所・算所などとも書いてあります。摂津の西の宮は人形遣いの起った有名な場所であり....
特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
院の東、稲荷町の地にあったとも言われている。その地は因幡薬師の東で、或いは東寺の散所法師の如く、因幡堂のキヨメすなわち掃除夫であったのかもしれぬ。ところが寛文三....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
れているのによって察せられる。南北朝から室町時代の文書にしばしば見えている東寺の散所法師の如きも、またこの類であったらしい。散所法師の掃除人等がサンジョの名を得....
牛捨場馬捨場」より 著者:喜田貞吉
人法師等は多く村落都邑の場末に流れついて小屋住まいをなし、為に河原の者、坂の者、散所の者などと呼ばれた。そしてその集落にはいわゆる長吏法師なるものがあって、これ....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
津西の宮の付近には、もと「産所」という部落があった。これは後に説明するところの「散所」の義で、浮浪民の住みついた所である。その住民は西の宮の百大夫を祖神と仰ぎ、....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
れを生計の方便として不思議と思われていなかったのである。かくてついには餌取法師・散所法師・長吏法師・法師陰陽師・田楽法師・猿楽法師・千秋万歳法師・琵琶法師等、そ....
放免考」より 著者:喜田貞吉
むしろ少数であったに相違ない。したがってその多数は、或いは流れて川原者・坂の者・散所の者などの仲間に落ち込み、或いは全くの浮浪民となって放浪し、或いは生きんが為....
融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
るのは、「坂の者」、すなわち「サンカ者」の訛りであります。 あるいは同じ仲間に散所の者と呼ばれたものもありました。けだし浮浪民の生きんがために流れつくのは、必....