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敵城
「敵城〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
敵城の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
相《かわいそう》なのは首縊りの力学を演説する先生ばかりとなる。吾輩でも奮発して、
敵城へ乗り込んでその動静を偵察してやらなくては、あまり不公平である。吾輩は猫だけ....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
後を追う事になる。 一番驚いたのは鍋島勢である。信綱の命を伝うべき軍目付親子が
敵城へ乗入れたのだから、今はとかくの場合ではないと、軍勢一同に動いて、鍋島勝茂の....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
き事にてこそあれ。左あれば、関八州は貴客に進らすべし」(関八州古戦録)と言って、
敵城の方に向い一緒に立小便をした。 これは有名な「関東の連小便」の由来だと云う....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
。氏郷軍は民家を焼払って進んだところ、本街道筋にも一揆《いっき》の籠《こも》った
敵城があった。それは四竈《しかま》、中新田《なかにいだ》など云うのであった。氏郷....
「雪たたき」より 著者:幸田露伴
、日頃の本懐も忽ち遂げらるる場合にござる。手段は既に十分にととのい、敵将を追落し
敵城を乗取ること、嚢の物を探るが如くになり居れど、ただ兵粮其他の支えの足らぬため....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
かる。けれどもそれは無数の戦車のゴウゴウたる突撃に比すべくもない。雷サマとなって
敵城を叩きつぶす魔法の力は空想上の破壊力の限界であったかも知れないが、B29のバ....
「わが寄席青春録」より 著者:正岡容
たのだ。でなければいくら当時の私の売文先が「苦楽」はじめ多く関西だったとしても、
敵城近く乗り込んだりすることはなかったろう。そののち小林一三先生の辱知を得た時、....
「三国志」より 著者:吉川英治
人間の惑いに過ぎん。もうひと押し攻めれば、落ちるばかりなこの城だ。掌のうちにある
敵城をすてて、なんでここから引っ返していいものか」 いわれてみれば、道理でもあ....
「三国志」より 著者:吉川英治
ることすら困難であった。 「どうしたものか?」 焦躁の気を眉にあつめて、不落の
敵城を見つめたまま、独り沈思していると、吹雪を衝いて、陣へたどり着いた早打ちがあ....
「三国志」より 著者:吉川英治
んでくれ給え」 と、近侍へたのみ、その朱然が見えると、 「新手四千騎を加えて、
敵城の南、東、西の三方へいよいよ圧力を加え給え、そして足下はべつに千騎をひきい、....
「茶漬三略」より 著者:吉川英治
、清水長左衛門|宗治が、わずか五千の士卒や農兵と共に、餓死してもと、死守している
敵城なのであった。 猿殿の総軍は、約三万とか。 その大軍が、四月中旬ごろから....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
給ヒ、其手ヲ取リテ、顔ニ当テ、マヅ今生ノ対面コソ悦シケレ。抑、コノタビ命ヲ捨テ、
敵城へ赴カレシ忠志、世ニ有難シ、ワレコノ恩ヲイカニ報ズベキト、前後モ覚エ給ハズ泣....