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文公
「文公〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
文公の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「窮死」より 著者:国木田独歩
けれどもせんの三人は、いくらかよかったと見えて、思い思いに飲《や》っていた。 「
文公《ぶんこう》、そうだ君の名は文さんとか言ったね。からだはどうだね。」と角《か....
「護持院原の敵討」より 著者:森鴎外
な」 男は文吉の顔を見て、草葉が霜に萎れるように、がくりと首を低れた。「ああ。
文公か」 九郎右衛門はこれだけ聞いて、手早く懐中から早縄を出して、男を縛った。....
「深夜の市長」より 著者:海野十三
っ掻きまわされてあったが、これは速水のやったものに違いなかった。欄間を飾る伊藤博
文公の額もブランと宙に下っているし、床の間からは掛軸が外され、青銅製の釣鐘の置き....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
道に怒特の祠というのがあって、その祠のほとりに大きい梓の樹が立っていた。 秦の
文公の、二十七年、人をつかわしてその樹を伐らせると、たちまちに大風雨が襲い来たっ....
「柿の種」より 著者:寺田寅彦
のが、三越の四階に開催された。いろいろおもしろいものが陳列されている中に、伊藤博
文公夫人が公の愛用のシガーのバンドをたくさんに集めて、それを六枚折り(?)の屏風....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
ておらなかったことが分る。 しかるに明治天皇が憲法制定の事を勅定し給い、伊藤博
文公が憲法取調の勅命を受けられてより、いよいよ「憲法」なる語がコンスチチューシオ....
「日記・書簡」より 著者:宮本百合子
しまいかしら。私共はあれから渋谷まですぐ省線で来たが、エビスのところで、べこがお
文公に小さい声で訊くことには、 「おフーちゃん。家までつめたいもの飲まずにかえれ....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
です。
余談ですが、馬関《ばかん》の春帆楼《しゅんぱんろう》かどこかで、伊藤博
文公がお湯へはいった。そのとき、流しに出た者が、伊藤さんが手拭で、前をシッカとお....
「生前身後の事」より 著者:中里介山
、件《くだん》の帽子を被っていたから人相はよく分らなかった。 それから、伊藤博
文公は韓国統監時代に李王世子のお伴《とも》をしてであったか、なかったか三越へ馬車....
「妖婦」より 著者:織田作之助
、「お前さんの昨日着て来た着物はよく似合った、明日もあれを着て来てくれ」とか、「
文公は昨日お前さんをいじめたそうだが、あいつは今日おれがやっつけてやるから安心し....
「赤げっと 支那あちこち」より 著者:国枝史郎
そうだ。義憤の念を禁じ得ないではないか。公会堂をも見た。この公会堂に於て故伊藤博
文公が、ハルビン駅頭で鮮人に暗殺される三日前、盛大極まる歓迎宴が開かれたことがあ....
「随筆 寄席囃子」より 著者:正岡容
博文と彼女にまつわる、あやしい挿話を聞かせてもらったことがある。 橘之助は、博
文公と、かなり、前から深い知り合いだったものらしい。で、公がハルピンへゆかれる時....
「寄席行灯」より 著者:正岡容
文と彼の女にまつわる、あやしい挿話をきかせてもらったことがある。 橘之助は、博
文公と、かなり、前から深い知り合いだったものらしい。で、公がハルピンへゆかれると....
「オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
その例に乏しくない。「稲荷」と書いてイナリと読むことはだれも知っているが、伊藤博
文公の出生地なるツカリも同じく「束荷」と書く。越前の敦賀は旧名|角鹿であったと言....
「三国志」より 著者:吉川英治
りましたから、他国へ走って、身をかくしました。そして十九年後、初めて世に出た晋の
文公は――すなわちそのむかしの重耳であったのです。……今、荊州の東南、江夏の地は....