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「文展〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

文展の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
路上」より 著者:芥川竜之介
と云う評判を荷っていた。これはいつか『帝国文学《ていこくぶんがく》』へ、堂々たる文展《ぶんてん》の批評を書いたので、自然名前だけは俊助の記憶にも残っているのだっ....
画学校時代」より 著者:上村松園
と遠慮しながら縮図をつづけました。 あの頃の不自由を想うと、今の人は幸せです。文展でも院展でも非常に人物画が多くなっているので、参考に困りませんが、当時はこの....
母への追慕」より 著者:上村松園
をすることにしている。 「お母さん行って参ります」 「お母さん帰って参りました」文展に出品する絵でも、その他の出品画でも、必ず家を運び出す前には、母の写真の前に....
作画について」より 著者:上村松園
て、それに一念をぶちこんだのでありましょう。 あの絵は大正七年に描いたもので、文展に出品したものであります。 あの焔を描くと、不思議と私の境地もなごやみまし....
「草紙洗」を描いて」より 著者:上村松園
界における芸術への一と筋辿るべき微妙な路だと思っています。 わたくしがこんどの文展に出品したのは能楽にある小町の“草紙洗”ですが、しかしこれは能楽そのものをそ....
画室談義」より 著者:上村松園
たっている。それを区切りとして夏の暑いさかりを階下の画室で、またお盆過ぎになって文展の制作を機に二階の画室へ、これが私の上下画室の使用期になっております。冬は二....
画道と女性」より 著者:上村松園
とんどあらゆる時代の風俗を描いているような気がする。が、古い処と言えば、第九回の文展に出した「花がたみ」は謡曲|花筐に取材したもので、時代は継体天皇の御宇と記憶....
画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
上に二十一年前からの御用命を果たしたと書かれてありましたが、思えば大正五年の秋、文展第十回展開催中、御用命を拝したのでございましたから、なるほど二十一年の歳月が....
謡曲仕舞など」より 著者:上村松園
作半ばで筆を擱いてしまっていますが、すでに四分通りは出来ているのですから、今度の文展にはぜひこれを完成して出品したいと思っています。図は文金高髷の現代風のお嬢さ....
迷彩」より 著者:上村松園
まいます。これは何とか適当な方法がないものでしょうか。 ○ ことしの文展はつい怠ってしまいました。もっとも最初私は、歴史物を描いてみようという考えで....
花筐と岩倉村」より 著者:上村松園
「花がたみ」は第九回文展出品作で、大正四年の制作である。 この絵は、わたくしの数多くの作品中でも、....
虹と感興」より 著者:上村松園
かねるものだと前に述べました。これについて一つの話があるのです。 私は、かつて文展に出した「月蝕の宵」というのは、やはり屏風一双に描いたもので、女たちが、月蝕....
古い記憶を辿って」より 著者:上村松園
言えるいい人であったという事は、私にも言えます。 私の若い時分は、今のように、文展とか、帝展とかといった、ああいう公開の展覧会というものが、そんなに沢山ありま....
土田さんの芸術」より 著者:上村松園
来るのだろう、と思った事だった。 土田さんはよく舞妓を研究していられた。最初は文展に〈三人の舞妓〉が出た。国展にも同じ題材の作が出た。腰掛けたのがあり、座った....
三味線の胴」より 著者:上村松園
な高い品位のある顔立、これはああいう名門の一つの貴族型というものがあるでしょう。文展の〈月蝕の宵〉を描いた時には、モデルになってもらって、横向きやら、七三やらの....