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「文楽座〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

文楽座の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
世相」より 著者:織田作之助
の昇降機の入口に立って済ました顔でこちらを睨んでいた。そして並んで四ツ橋を渡り、文楽座の表まで来ると、それまでむっと黙っていた彼女は、疳高い早口の声で、 「こん....
わが町」より 著者:織田作之助
は蝶子が日頃陽気な明るい気性であるだけに、一層蝶子の淋しさが同情されるのだった。文楽座の前まで来たのでもう蝶子の話を打ち切った。 ところが、文楽座は人形芝居は....
大阪を歩く」より 著者:直木三十五
と、いうよりも、実によく、大阪の女は食べた。私の子供時分の芝居に於て、就中、旧文楽座に於て――そして、昆布をしがんだ口臭は、決してシックなものではない。何うも....
楢重雑筆」より 著者:小出楢重
ずこれは信用していいだろうという、ともかく芸に対する安心がまず第一に得られます。文楽座などをちょっと覗いてみてもやはりこの感じがはっきりとします。人形使いなども....
めでたき風景」より 著者:小出楢重
つ、張合がなくて、陶酔すべき原料がないという。 しかし大阪では、新らしい近頃の文楽座以外では先ず、どの劇場もまだまだ、充分の原料を設備して愛好家を待っている。....
油絵新技法」より 著者:小出楢重
私は昔、現代劇に、浄るりのチョボが現れたのを見た事があった。また、乃木大将伝を文楽座で人形浄るりとして演じた事があったと記憶する。前者においては愛子は涙の顔を....
大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
ら縮まってしまって、何もかも見えないところのいじけたる存在となってしまうだろう。文楽座の人形の顔を座敷で手にとって見ると、案外小さいものである。野球のボールの二....
大阪発見」より 著者:織田作之助
をを想い出しながら、「しる市」を出ると、足は戎橋を横切り、御堂筋を越えて四ツ橋の文楽座へ向いた。 デンデンと三味線が太く哀調を予想させ、太夫が腹にいれた木の枕....
竹本綾之助」より 著者:長谷川時雨
歩の導きをしたのである。お園は竹本玉之助となり、浅草|猿若町《さるわかちょう》の文楽座に現われることになった。真打ちはその頃の大看板竹本|京枝《きょうし》であっ....
豊竹呂昇」より 著者:長谷川時雨
》しの旅烏《たびがらす》にしておかなかった。床本《ゆかほん》とお弁当とをもって、文楽座に通うのを毎日の仕事としていた他意なき熱心さを、大阪第一流の女義の定席《じ....
天衣無縫」より 著者:織田作之助
はっきり言えば、その反対だ。文楽へ連れてってやるとのことで、約束の時間に四ツ橋の文楽座の前へ出掛けたところ、文楽はもう三日前に千秋楽で、小屋が閉っていた。ひとけ....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
ころを抜けたり曲がったりして、足場が甚だよろしくなかった。その傍にあやつり芝居の文楽座があったが、一向に流行らないで亡びてしまった。市村座の座主はかの守田勘弥に....
十九の秋」より 著者:永井荷風
《たの》しんだ。しかしその時の事は、大方忘れてしまった中に、一つ覚えているのは、文楽座《ぶんらくざ》で、後に摂津大掾《せっつのたいじょう》になった越路太夫《こし....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
阪にては和事師の随一と呼ばれていたり。 ○十月、猿若座の焼跡へ小屋を作りて、大阪文楽座の人形芝居を興行。人形使いは桐竹紋十郎、吉田玉造。太夫は越路太夫、住太夫、....
わが町」より 著者:織田作之助
一そう凄みがあった。 ところが、それから半月ばかり経ったある夜のことだ。御霊の文楽座へ大夫を送って帰り途、平野町の夜店で孫の玩具を買うて、横堀伝いに、たぶん筋....