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「文武〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

文武の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
忠義」より 著者:芥川竜之介
》置いていた。これはほとんど病苦と云うものの経験のない、赭《あか》ら顔の大男で、文武の両道に秀《ひい》でている点では、家中《かちゅう》の侍で、彼の右に出るものは....
仇討禁止令」より 著者:菊池寛
も二、三度は誘われて、伴をしたことがある。 長男の万之助は、今年十七で、これは文武両道とも、新一郎に兄事していて、 「お兄さん! お兄さん!」と、慕っている。....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
殺されかけたのを、床の間にかかっている韓退之の詩『雲横秦嶺』を読んで命を助かった文武兼備の豪傑である。 戦い果てて後、信長、稲葉の功を賞し、自分の一字をやって....
厳島合戦」より 著者:菊池寛
大和伊豆守は、毛利方の香川光景と戦う。香川は大和と知合いの間柄だった。大和は、文武の達者で、和歌の名人であったから、元就かねて生擒にしまほしきと言っていたのを....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
ず、悠々閑々として牀几に腰かけ、お茶を三杯まで飲んだ。 謙信も亦、信玄に劣らぬ文武兼備の大将で、文芸の趣昧ふかく、詩にはおなじみの、 |霜満秋気清 数行過雁月....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
た。その一方には今度の戦で沓掛で落馬した話も忘れられてはならない。しかし、とも角文武両道に心掛けたのは義元であるが、氏真と来ては父の悪い方丈しか継いで居なかった....
小夜啼鳥」より 著者:アンデルセンハンス・クリスチャン
、わたしがこの鳥のことをよんだ本というのは、」と、皇帝はおっしゃいました。「叡聖文武なる日本皇帝よりおくられたもので、それにうそいつわりの書いてあろうはずはない....
備前天一坊」より 著者:江見水蔭
徳川|家康の外孫の格。将軍家に取っては甚だ煙ッたい人。夙に聖賢の道に志ざし、常に文武の教に励み、熊沢蕃山その他を顧問にして、藩政の改革に努め、淫祠を毀ち、学黌を....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
を除いても黒旋風のような怒って乱暴するほかには取柄のない愚人もあるが、八犬士は皆文武の才があって智慮分別があり過ぎる。その中で道節が短気で粗忽で一番人間味がある....
火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
続日本紀に、文武天皇四年飛鳥元興寺の僧道照和尚遷化してその屍を焼いたのが、我が国火葬の初めだ....
国号の由来」より 著者:喜田貞吉
号を改めて日本と称したとあるのである。ここにおいてさらに我が続日本紀を按ずるに、文武天皇大宝二年五月、遣唐持節使|粟田真人唐に入る。真人初め唐に至るや、「人あり....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
術史上の系統に立て直しを要するものであるかもしれぬ。元来飛鳥時代とは天武・持統・文武の諸朝をも包含すべき筈で、この意味における飛鳥時代ならば良い。切に斯道専門家....
県歌 信濃の国」より 著者:浅井洌
の五郎|信盛も 春台太宰先生も 象山佐久間先生も 皆|此国の人にして文武の誉たぐいなく 山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽ず 六 吾妻はや....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
りました。賤民は決して良民と結婚することが出来なかった事も見えております。この後文武天皇の御代に大宝令が御発布になり、その扱い振りの詳細なことが規定されておりま....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
が出来なかった。 我が国に於ては「統帥権の独立」なる文字は穏当を欠く。「天子は文武の大権を掌握」遊ばされておるのである。もとより憲法により政治については臣民に....