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文武天皇
「文武天皇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
文武天皇の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
、 文字は鮮かにこう読まれた。 「ああそれではこのお方は役ノ小角であったのか。
文武天皇大宝元年に、漢土へ渡ったと記されてあるが、それではその後この地へ帰り、こ....
「新釈諸国噺」より 著者:太宰治
御時、飛騨に一身両面の人出ずる、天武天皇の御宇に丹波の山家より十二角の牛出ずる、
文武天皇の御時、慶雲四年六月十五日に、たけ八丈よこ一丈二尺一頭三面の鬼、異国より....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
子)を追憶せられた。その時人麿の作った短歌四首あるが、その第一首である。軽皇子(
文武天皇)の御即位は持統十一年であるから、此歌はそれ以前、恐らく持統六、七年あた....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
も知れない。 それから四十年ほどの間に斉明、天智、弘文、天武、持統とすぎて次の
文武天皇の大宝二年(西暦七〇二年)に美濃と木曾の間に新しく道をつくりました。それ....
「日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
き、心ひそかに我国の隆昌を察し、裴世清を我国に遣わした如きもその例の一つであり、
文武天皇様の大宝元年に唐に使いした栗田真人が学を好み文に好く、応待に嫻い、いかに....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
続日本紀に、
文武天皇四年飛鳥元興寺の僧道照和尚遷化してその屍を焼いたのが、我が国火葬の初めだ....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
号を改めて日本と称したとあるのである。ここにおいてさらに我が続日本紀を按ずるに、
文武天皇大宝二年五月、遣唐持節使|粟田真人唐に入る。真人初め唐に至るや、「人あり....
「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
したのを打ち付けたので、先達も福地先生から承わりましたが、大宝令とか申しまして、
文武天皇さま時分に法則も立ちまして、切物は仮令鋏でも小刀でも刀でも、我銘を打つ事....
「山の人生」より 著者:柳田国男
』に、土蜘蛛退治の記事の多いことは、常陸・陸奥等に譲りませず、更に『続日本紀』の
文武天皇二年の条には太宰府に勅して豊後の大野、肥後の鞠智、肥前の基肄の三城を修繕....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
りました。賤民は決して良民と結婚することが出来なかった事も見えております。この後
文武天皇の御代に大宝令が御発布になり、その扱い振りの詳細なことが規定されておりま....