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「文王〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

文王の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
奇怪な再会」より 著者:芥川竜之介
》の前へ、丁寧に円い頭を下げた。軸は狩野派《かのうは》が描《か》いたらしい、伏羲文王周公孔子《ふくぎぶんおうしゅうこうこうし》の四大聖人の画像だった。 「惟皇《....
軍用鮫」より 著者:海野十三
糸を垂れて弦振動の発生をたのしむなり。いや弦振動の発生をたのしむに非《あら》ず、文王の声の波動を期待するのにあったろう。 楊《ヤン》博士は、近代の文王とは、誰....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
に稗を作った乃木さん程の上手な百姓は出来ぬ。川柳氏歌うて曰く、釣れますか、などと文王|傍へ寄り、と。美的百姓先生の百姓も、太公望の釣位なものだ。太公望は文王を釣....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、『一竿ノ風月、心ト違《たが》フ』という句がございます、その前句は多分、『誤ツテ文王ニ載セ得テ帰ラル』とかございました、私の記憶と解釈が誤っておりましたらば御免....
源氏物語」より 著者:紫式部
詩も源氏の君を讃美《さんび》したものが多かった。源氏自身もよい気持ちになって、「文王の子武王の弟」と史記の周公伝の一節を口にした。その文章の続きは成王の伯父《お....
生活と一枚の宗教」より 著者:倉田百三
す。 それで聖人というものはおのずからにしてその行いが権道にかなっている。周の文王は自分の主人を殺して革命を起こしたのでありますけれども、権道からいえば正しい....
人口論」より 著者:マルサストマス・ロバート
進するために法律を制定した。しかし農業を最も尊重したのは紀元前一七九年に統治した文王である。この王は、自己の国が戦争のために荒廃したのを見て、その宮殿に附属する....
孔子」より 著者:和辻哲郎
、二二) またそれより前のことと解せられているが、 子、匡に畏(拘)わる。曰く、文王|既に没したれども、文は茲(吾が身)にあらずや。天の未だ斯の文を喪さざらんと....
真の愛国心」より 著者:新渡戸稲造
《しゅくせい》の話である。この兄弟は国を愛すること熱烈で、周の武王が木像を載せて文王と称し、主君の紂《ちゅう》を討つ時、彼らは父が死んで葬《ほうむ》らぬ間に干戈....
古事記」より 著者:太安万侶
清原の大宮において、天皇の位におつきになりました。その道徳は黄帝以上であり、周の文王よりもまさつていました。神器を手にして天下を統一し、正しい系統を得て四方八方....
三国志」より 著者:吉川英治
はむかし荊山のもとで、鳳凰が石に棲むのを見て、時の人が、石の心部を切って、楚国の文王に献じ、文王は、稀世の璞玉なりと、宝としていましたが、後、秦の始皇の二十六年....
三国志」より 著者:吉川英治
って云った。 「由来、天道に反いて、栄えた者はありません。むかし周公は、后稜から文王におよぶまで、功を積み徳をかさねましたが、なお天下の一部をもち、殷の紂王にす....
三国志」より 著者:吉川英治
ずや 東海の老叟荊榛を辞す 石橋の壮士誰かよく伸びん 広施三百六十|釣 風雅遂に文王と親し 八百の諸侯、期せずして会す 黄龍舟を負うて孟津を渉る…… 何処だろ....
三国志」より 著者:吉川英治
て、橘をふところに入れたという陸郎であるな。まず安坐してわが論を聞け。むかし周の文王は、天下の三分の二を領しながらも、なお殷に仕えていたので、孔子も周の徳を至徳....
三国志」より 著者:吉川英治
燿を計ろうとする運動がひそかにすすんでいた。 ――が、曹操は、 「予はただ周の文王たればよし」 と、いうのみで、自身が帝位に即こうとはいわなかった。けれどそ....