文相[語句情報] » 文相

「文相〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

文相の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
ずそんなところなり。こういう仕事をせぬ内閣は早く代わるに限る。思えば、今は亡き前文相二宮中将が、組閣間もなく国民学校第二学期の始まっていることを十日も忘れての放....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
悩まされて、ひどく弱った。 九日は帝国芸術院会員が初度の顔合せというので、私も文相からの案内を受けて、一旦は出席の返事を出しておきながら、更にそれを取消して、....
思想と風俗」より 著者:戸坂潤
かつて森有礼時代の文部大臣は社会の建設に対して嚮導的な意義を有っていたが、その後文相は大臣としては寧ろ不名誉な伴食大臣ということになって了った。最近では文部大臣....
読書法」より 著者:戸坂潤
ン式に対する日本式ローマ字論の優越を証言したもので、一寸才気に充ちたものだ。平生文相の漢字廃止論の批評や、メートル法論議も、文化問題として正常に捉えられている。....
日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
的歴史――社会人間の生産的諸器官の・夫々特殊な社会組織の物質的基礎の形成史」(訳文相川)。――レーニンは之を前面に押し出したというのである。 そこで相川氏は次....
社会時評」より 著者:戸坂潤
人大臣は、その約束を只今道徳的に履行しているのである、と。なる程そうして見ると、文相のこの道徳美談の犠牲者が、他の何人でもあり得ずに、特に滝川教授でなければなら....
現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
掲げるし、八月十三日には前述の大日本生産党は、岡田総理や小原法相や、後藤内相松田文相両軍部大臣、それから一木枢相金森長官あて、夫々勧告書や進言書を手交している。....
外来語所感」より 著者:九鬼周造
送るばかりが国防ではない。挙国一致して日本語の国民性を擁護すべきであろう。故松田文相の外来語排撃の旗印は文教の府の首班として確かに卓見であった。我々はしかし文部....
丹下左膳」より 著者:林不忘
文句をはじめから書いていき、他の文句をしまいから逆に行間《ぎょうかん》に埋めて両文相|俟《ま》って始めて一貫した意味を持っているものを、その紙片の中央から、ふた....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
想が、時としては激情の形で迸り出ようとすることがある。 憲法発布の日には、時の文相|森有礼が暴漢のために刺殺された。事実の痛ましさはめでたい記念日の賑いに浮き....
S夫人への手紙」より 著者:岸田国士
学生ストの問題に関しては、すでに、南原東大総長の情理をつくした声明もあり、森戸文相の責任ある国会での答弁も公表されていることですから、直接、これについて小生の....
宝塚生い立ちの記」より 著者:小林一三
弘氏を、当時その任に得たことは宝塚の幸運であった。 安藤弘氏は、第一次鳩山内閣文相、安藤正純氏の弟であって、本願寺の坊さんもしたことのある人である。三浦環(旧....
はなしの話」より 著者:岡本綺堂
悩まされて、ひどく弱った。 九日は帝国芸術院会員が初度の顔合せというので、私も文相からの案内を受けて、一旦は出席の返事を出しておきながら、更にそれを取消して、....
四十年前」より 著者:内田魯庵
井公侯を補佐して革命的に日本の文明を改造しようとしたは当時の内閣の智嚢といわれた文相森有礼であった。森は早くから外国に留学した薩人で、長の青木周蔵と列んで渾身に....
我が教育の欠陥」より 著者:新渡戸稲造
荒武夫《ますらたけお》の雄心は吾らが父母の遺せる最も尊き賜なるぞかし。吾人は近く文相が訓示して、人格を作るを以て、我が教育策の大主旨となすべしといえるを聞く。こ....