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文禄
「文禄〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
文禄の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「さまよえる猶太人」より 著者:芥川竜之介
ど》天草《あまくさ》の諸島を遍歴して、古文書の蒐集に従事した結果、偶然手に入れた
文禄《ぶんろく》年間の MSS. 中から、ついに「さまよえる猶太人」に関する伝説....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
を除いた故事に拠ると出づ、『菅氏世譜』に政利寛永六年五十九歳で歿したとあるから、
文禄中虎を斬った時は三十四、五の時だ。長政罪人を誅するに諸士に命じて見逢《みあい....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
たのか、それとも青年時代からそんな大志があったのか、どちらか分らない。 明けて
文禄元年正月、太閤秀吉は海陸の諸隊に命じて出発の期日並びに順序を定めた。一番は小....
「魔法修行者」より 著者:幸田露伴
を修したのである。太政大臣|公相は外法のために生首を取られたが、この人は天文から
文禄へかけての恐ろしい世に何の不幸にも遭わないで、無事に九十歳の長寿を得て、めで....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
る詐欺に比べて遥かに罪が軽い、それから『川角太閤記《かわすみたいこうき》』四に、
文禄元辰二月時分より三井寺の鐘鳴りやみ、妙なる義と天下に取り沙汰の事と見ゆ、これ....
「日本楽器の名称」より 著者:寺田寅彦
ただけでもたくさんな文献が並べ立ててあるが、いっこうに要領を得難い。永禄あるいは
文禄年間に琉球から伝わった蛇皮線を日本人の手で作りかえた、それがだんだんポピュラ....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
い公事《くじ》として名高い談である。其の逸話は措《お》いて、氏郷が天正二十年即ち
文禄元年朝鮮陣の起った時、会津から京まで上って行った折の紀行をものしたものは今に....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
徳とすることは申すまでもございません――その時に、細川家で家老たちが相談をして、
文禄朝鮮征伐の時の王羲之の孝経の半分を持ち出し、いささか恩義に酬ゆるの礼として、....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
わすふしぎな人選の儀が行なわれているのだった。
月輪一刀流……とは。
天正|
文禄《ぶんろく》の世に。
下総《しもうさ》香取郡飯篠村の人、山城守家直《やまし....
「馬妖記」より 著者:岡本綺堂
その品々をみせて貰うことが出来た。 その記録にはこういう事実が伝えられている。
文禄二年三月、その当時、小早川隆景は朝鮮に出征していて、名島の城には留守をあずか....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
なかった。この間、それを調べたが、当家の異国方軍制――武田流の軍法――によると、
文禄までは、千人として士分の騎馬五十人、徒歩《かち》五十人、弓足軽三十人、槍足軽....
「植物知識」より 著者:牧野富太郎
く、それがけっしてスミレではないことを、だれでも承知していなければならない。昔|
文禄《ぶんろく》・慶長《けいちょう》の役《えき》の時、加藤|清正《きよまさ》が朝....
「秀吉・家康二英雄の対南洋外交」より 著者:国枝史郎
し、官許の免許状(朱印)を与えて、公に貿易を許可したのは豊臣秀吉で、それは我国の
文禄元年、西暦の一五九二年のことであり、爾来御朱印船は、呂宋のマニラ市を中心とし....
「文化史上より見たる日本の数学」より 著者:三上義夫
的気分の豊富になったことを示すもののようである。 かかる機運に向かったところへ
文禄の役が始まって、朝鮮及び支那に接触する。朝鮮から持ち帰って来た書物中には算書....
「春水と三馬」より 著者:桑木厳翼
然し絵といい文章といい、よくも咀嚼して日本流或は寧ろ戯作本流にしたものだと思う。
文禄時代の羅馬字訳を初とし慶長元和以来古活字本となり、其他の諸版で世間に流布した....