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「文芸倶楽部〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

文芸倶楽部の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
星座」より 著者:有島武郎
側を真黒に燻《くすぶ》らして暗く灯っていた。机の片隅には「青年文」「女学雑誌」「文芸倶楽部」などのバック・ナムバアと、ユニオンの第四読本と博文館の当用日記とが積....
夜行巡査」より 著者:泉鏡花
尽瘁《じんすい》を、讃歎《さんたん》するもの無きはいかん。 (明治二十八年四月「文芸倶楽部」)....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
新聞小説を同時に書いているので、捕物帳はしばらく中止の形になっていると、そのころ文芸倶楽部の編集主任をしていた森|暁紅君から何か連載物を寄稿しろという注文があっ....
田舎教師」より 著者:田山花袋
いるのが洋燈の遠い光におぼろげに見える。洋燈の載った朴の大きな机の上には、明星、文芸倶楽部、万葉集、一葉全集などが乱雑に散らばって置かれてある。 一年も会わな....
科学と文学」より 著者:寺田寅彦
の机上に見いだされるものであった。同時にまた「国民小説」「新小説」「明治文庫」「文芸倶楽部」というような純文芸雑誌が現われて、露伴紅葉等多数の新しい作家があたか....
読書の今昔」より 著者:寺田寅彦
あしかれその後の生活に影響したような気がする。 当時は「明治文庫」「新小説」「文芸倶楽部」などが並立して露伴、紅葉、美妙斎、水蔭、小波といったような人々がそれ....
探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
、われわれ素人には到底探索の方法を見いだし得られそうもない。 大正十四年八月作「文芸倶楽部」 娘義太夫 K君は語る。 「あなたがもし、この話を何かへ書くような....
明治の戦争文学」より 著者:黒島伝治
到った。そして多くの新聞(中央新聞、報知新聞、二六新聞等)雑誌(太陽、国民之友、文芸倶楽部等)に戦争小説、軍事小説なるものが現れた。江見水蔭、小杉天外、泉鏡花、....
木曽の怪物」より 著者:岡本綺堂
遭いますから、山へ出る時には用心を為にゃあなりません、云云。 (麹生) (「文芸倶楽部」明治三十五年七月号掲載「日本妖怪実譚」より)....
おばけずきのいわれ少々と処女作」より 著者:泉鏡花
しもあらずであったろう。 二十七八年戦争当時は実に文学者の飢饉歳であった。まだ文芸倶楽部は出来ない時分で、原稿を持って行って買ってもらおうというに所はなく、新....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
の読みものにならないというので、どこでも嫌われた。わたしが一幕物の史劇をかいて『文芸倶楽部』の編集者に見せると、その編集者はそれまで私の小説や小品のたぐいを幾た....
半七捕物帳の思い出」より 著者:岡本綺堂
聞小説を同時に書いているので、捕物帳はしばらく中止の形になっていると、そのころ『文芸倶楽部』の編輯主任をしていた森暁紅君から何か連載物を寄稿しろという註文があっ....
修禅寺物語」より 著者:岡本綺堂
この脚本は『文芸倶楽部』の一月号に掲載せられたもので、相変らず甘いお芝居。頼家が伊豆の修禅寺....
斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
デ、コレデ無難ニ飯ガクエレバ、コンナラクナ事ハアリマセヌ、慾ニハ私モ東京ニイテ、文芸倶楽部ノ末ノ方ニアルヨウナ端唄ヲツクッテ、竹富久井アタリニ集会シテイマシタラ....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
』を初めゴーゴリやガルシンの短篇の飜訳にクツクツとなって『新小説』や『太陽』や『文芸倶楽部』に寄稿したのはその時代であった。 が、文壇的活動は元来本志でなく、....