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文部大臣
「文部大臣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
文部大臣の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
ている、父はいつも口をきわめて当代の知名の政治家、大臣、政党首領などを罵倒する、
文部大臣のごときも父は自分の親友のごとくにいいなす、それを見て巌はますます父はえ....
「我が人生観」より 著者:坂口安吾
理大臣であったし、ずいぶん甘ったるい感傷小説の作者シャトオブリヤンのような人でも
文部大臣をつとめていらッしゃった。前駐日大使ポール・クローデルはヴァレリイと並ん....
「教育映画について」より 著者:寺田寅彦
画の時代は廻って来ないであろう。現在の映画ファンの中の堅実な分子の中から総理大臣
文部大臣以下各局長が輩出する時代が来て始めて私の夢は実現されるかもしれない。しか....
「道なき道」より 著者:織田作之助
て、主催者側では普通の賞では寿子にふさわしくないと思う位だった。そこで、あわてて
文部大臣賞というものを特に作って、それを寿子に与えることにして、主催者側はやっと....
「回想録」より 著者:高村光太郎
く雇われたものだ。当るのには訳があって私は谷中の墓地は隅々まで精通していたから、
文部大臣の森有礼を暗殺した西野文太郎の墓石を砕いてその一片を懐にして行くのである....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
た。 その日憲法発布の式場へ参列のため大礼服をつけて官舎を出るところを玄関前で
文部大臣の森有礼氏が刺客に刺されたのであった。お目出たいことのあった後の不祥事で....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
原型の楠公像はすべて檜材を用い、原型全部出来ましたので、明治二十六年三月十六日に学校庭内に組み立て、時の
文部大臣並びに学校に関係ある諸氏の一覧に供したのであるが、住友家から学校へ製作を....
「ハイカラ考」より 著者:木村荘八
く、数万の人出に、往来は夜になると至るところコチコチに踏みかためられたという――
文部大臣の森有礼がまだ降りやまない雪の中を、参賀に出ようとすると、あっという間に....
「明治の文学の開拓者」より 著者:内田魯庵
稲田とで、この早稲田の文学をしてシカク威力あらしめたるは一に坪内君の功労である。
文部大臣が三君の中先ず第一に坪内君を擢んで報ゆるに博士の学位を以てしたのは推薦者....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
部省に睨まれ教育界から顰蹙される頗る放胆な自由恋愛説が官学の中から鼓吹され、当の
文部大臣の家庭に三角恋愛の破綻を生じた如き、当時の欧化熱は今どころじゃなかった。....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
んな宗旨だってこんなに各宗派にみな大学を持っているようなことはありませぬ。これを
文部大臣が普通の大学と同じように見て、仏教大学じゃいかぬ、竜谷大学にしろ、曹洞宗....
「西航日録」より 著者:井上円了
リッジ大学にて同窓たりし菊池氏を知るやというをもってす。余は答えて、氏は当時わが
文部大臣にて、威勢赫々なりといいたれば、校長大いに驚きて曰く、余は菊池氏と同寮に....
「回顧と展望」より 著者:高木貞治
最初の政党内閣(隈板内閣)が出来ることになって,内閣総辞職があったのですが,時の
文部大臣の外山正一さんが辞職の際の置土産として,一年分の留学生十余人を一時に発表....
「空中征服」より 著者:賀川豊彦
上った。狸は大坂曳船会社の社長で実名を桜島安五郎と言う。狸と言われる理由は二枚舌
文部大臣中橋徳五郎の真似をして、狸の焼物を幾百となく自宅の床の間に飾っているから....
「福沢諭吉」より 著者:高山毅
吉その人でした。 諭吉は、慶応義塾であたらしい教育をし、「文部省は竹橋にあり、
文部大臣は三田にいる。」と、せけんでいわれたほどですが、それとどうじに、出版に力....