文雅[語句情報] »
文雅
「文雅〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
文雅の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
兄の庄八郎やまた長兄の惣蔵が武勇一図の人間であるのと大いに趣きを異にしてきわめて
文雅の人物であった。容貌も秀麗、風姿も典雅、和歌詩文にも長けていて、今日信玄の作....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
で、容貌の凛々しいことはドイツ人に似、起居振舞はゆっくりではあるが、またきわめて
文雅な感じのある年老いた人がそこに彼らを待ち受けていたという。その人が当時肩を比....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
、打開けたところもあり、そして其能は勇武もあり、機略もあった人だが、其上に氏郷は
文雅を喜び、趣味の発達した人であった。矢叫《やたけ》び鬨《とき》の声《こえ》の世....
「連環記」より 著者:幸田露伴
時御内宴が催されて、詞臣等をして、|宮鶯囀いう題を以て詩を賦せしめられた。天皇も
文雅の道にいたく御心を寄せられたこととて、 露は濃やかにして 緩く語る 園花の底....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
一つにはかなはざりけり」、蛆虫《うじむし》を宇治武者にいい做《な》したのだ(石崎
文雅『郷談』)。それから娼家には殊に槌屋の家号多く、例せば宝永七年板『御入部伽羅....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
行しはじめた。家元の藤舎芦船《とうしゃろせん》といった加藤某は、世をすねて、風流
文雅に反《そ》れた士である。高弟藤舎|芦雪《ろせつ》、またなみなみの材ではなかっ....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
った。 仁田の家の中で目に付くものは古び、廃れて行く物質の中に活き残る品と礼と
文雅との光であった。そのため私には一層鈴子の姿が美しく、浮き上って見えるのであっ....
「旧藩情」より 著者:福沢諭吉
論ぜん歟《か》、下士の勤学《きんがく》は日《ひ》浅《あさ》くして、もとより上士の
文雅に及ぶべからず。 また下士の内に少しく和学を研究し水戸《みと》の学流を悦《....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
ら補ったのであろう。私の外曾祖父というのは戯作好きでも書物好きでも、勿論学者でも
文雅風流の嗜みがあるわけでもないただの俗人であったが、以て馬琴の当時の人気を推す....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
記の報条は多分喜兵衛自作の案文であろう。余り名文ではないが、喜兵衛は商人としては
文雅の嗜みがあったので、六樹園の門に入って岡鹿楼笑名と号した。狂歌師としては無論....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
今の藤堂伯の先々代で絢尭斎の名で通ってる殿様の准侍医であった。この絢尭斎というは
文雅風流を以て聞えた著名の殿様であったが、頗る頑固な旧弊人で、洋医の薬が大嫌いで....
「向嶋」より 著者:永井荷風
よそ》二百有余年、墨水《ぼくすい》の風月を愛してここに居《きょ》を卜《ぼく》した
文雅の士は勝《あ》げるに堪えない。しかしてそが最終の殿《しんがり》をなした者を誰....
「濹東綺譚」より 著者:永井荷風
》たまたまこの処にこのような庭園が残ったのを目にすると、そぞろに過ぎ去った時代の
文雅を思起さずには居られない。 線路に沿うて売貸地の札を立てた広い草原が鉄橋の....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
載和歌集”を撰した当代著名な歌人である。東国育ちの武家の子又太郎にしては、そんな
文雅な人を訪うのはためらわれたが、これは母との約束だった。 元来、母系は勧修寺....
「山の人生」より 著者:柳田国男
いうこととは、少なくとも実地をもってこれを例証しているつもりである。学問をもって
文雅の士の修養とし、ないしは職業捜索の方便と解して怪まなかった人々は、このいわゆ....