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「斎藤弥九郎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

斎藤弥九郎の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大菩薩峠」より 著者:中里介山
そうでしたか」 「斎藤篤信斎の甥《おい》に当りますかね」 「ははあ」 「そもそも斎藤弥九郎先生が、越中国氷見郡仏生寺村というのに生れたのですから、その村名を取っ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
。 ここにいる仏頂寺弥助と高杉晋作とが試合を試みたのはその時です。 仏頂寺は斎藤弥九郎の高弟。そのころ無敵といわれた道場荒し。 当時の佐久間象山は、水戸の....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、世間を渡り歩いて、兵馬の知らない話をよく知っている。 この人は前にいう通り、斎藤弥九郎の門下で有数の使い手。今こそ亡者の数には入っているが、その武芸談には、....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
と註されていた。水戸藩の剣道指南役でもあり、塾弟子常に二百人に余り、男谷下総守、斎藤弥九郎、桃井春蔵、伊庭軍兵衛と、名声を競ったものであった。 ある日、千葉家....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
ならこのくらいのことはなさりかねない。……お前らも知ってるだろう。斎藤派無念流の斎藤弥九郎《さいとうやくろう》、……閑叟侯が手に品をかえてせっせとお遣物《つかわ....
死剣と生縄」より 著者:江見水蔭
師の陣風斎という人は、実際|轗軻不遇の士。考えれば考える程気の毒で成らなかった。斎藤弥九郎、千葉周作、桃井春蔵、それ等の剣道師範に比べて、敢て腕前は劣らぬのだ。....
新撰組」より 著者:服部之総
常の士」二百五十名、みんな一かどの者ばかりだった。 ただ勇の試衛館は、たとえば斎藤弥九郎《さいとうやくろう》の練兵館、桃井春蔵《もものいしゅんぞう》の士学館―....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ている。また、柳生家の人々が茶がけ風に描いたものなども、稀れにあるし、近世では、斎藤弥九郎の描いた渾南田風の花鳥図など見たこともあるが、それは精密な彩色画で、何....