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「斎藤茂吉〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

斎藤茂吉の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
連句雑俎」より 著者:寺田寅彦
たのもある。 ところが最近に寄贈を受けた「アララギ」の十一月号を開いて見ると、斎藤茂吉《さいとうもきち》氏の「大沢禅寺《だいたくぜんじ》」と題した五首の歌があ....
俳諧の本質的概論」より 著者:寺田寅彦
あり、訴え方があらわであり過ぎるような気がするのをいかんともすることができない。斎藤茂吉氏の「赤光」の歌がわれわれを喜ばせたのはその歌の潜在的暗示に富むためであ....
鴎外・芥川・菊池の歴史小説」より 著者:宮本百合子
森鴎外の「歴史もの」は、大正元年十月の中央公論に「興津彌五右衛門の遺書」が載せられたのが第一作であった。そして、斎藤茂吉氏の解説によると、この一作のかかれた動機は、その年九月十三日明治大帝の御....
詩の原理」より 著者:萩原朔太郎
憫殺《びんさつ》すべきの徒輩であるが、ただ彼等の中にあって一奇とすべきは、巨頭の斎藤茂吉である。彼は医者の有する職業的の残酷さと唯物観とで、自然を意地悪く歪《ゆ....
歌集『仰日』の著者に」より 著者:宮本百合子
くものからの感想として何かのお役に立つならば幸であると存じます。 中野重治の『斎藤茂吉ノオト』をおもちでしょうか。窪川鶴次郎の『短歌論』をおもちでしょうか。お....
山の湯雑記」より 著者:折口信夫
った。 夕深く 山の自動車は 山鳥の道に遊ぶを 轢き殺さむとす 旅に出る前、私は斎藤茂吉さんに逢った。出羽の温泉の優れた処を教えて下さいと言ったところ、白布の外....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
よいよとなれば仮借しない態度を折に触れつつ示した筈である。昭和十三年八月二十九日斎藤茂吉。 参照注釈書略表 抄…………仙覚「万葉集抄」 拾穂抄……北村季吟....
書簡(Ⅰ)」より 著者:寺田寅彦
かと存じますが御返事までに申上げます、どうか悪しからず願います。草々。(九月二日斎藤茂吉宛)(大正十五年十月『アララギ』)....
文学的自叙伝」より 著者:林芙美子
、この七篇の華々しい小説が、どんなに私をシゲキしてくれたか知れないのです。なお、斎藤茂吉《さいとうもきち》氏のミュンヘン雑記や、室生犀星氏の文学を包囲する速力、....
九条武子」より 著者:長谷川時雨
と伝説の人に、自分たちの満足するまで造りあげようとした。 この間《あいだ》も、斎藤茂吉《さいとうもきち》博士の随筆中に、武子夫人が生《いき》ていられたうちは書....
可能性の文学」より 著者:織田作之助
ていた偽善のヴェールをひきさく反抗のメスの文学であろうか、それとも、与謝野晶子、斎藤茂吉の初期の短歌の如く新感覚派にも似た新しい官能の文学であろうか、あるいは頽....
読書遍歴」より 著者:三木清
もっともパリはヨーロッパへ行った者が一度は訪ねる所なので、偶然出会った人は多く、斎藤茂吉氏とか板垣鷹穂君などの名が今記憶に蘇ってくる。エトワルの近くにあった私の....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
にいい出されたのは賀茂真淵がほめてからであり、更には正岡子規がほめてからである。斎藤茂吉博士の『金槐集私鈔』をはじめとして、その後の多数の論究はことに実朝を顕し....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
公園である。或はトタン塀を繞らした工場である。或は又見すぼらしいバラックである。斎藤茂吉氏は何かの機会に「ものゝ行きとどまらめやも」と歌い上げた。しかし今日の本....
茂吉の一面」より 著者:宇野浩二
私は、これまで斎藤茂吉についてはいろいろ余り書きすぎたので、今、いくら鈍な頭をひねっても、どう....