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斑鳩
「斑鳩〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
斑鳩の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「白蟻」より 著者:小栗虫太郎
人は再び口を噤《つぐ》んで、視線を力なく下に落した。その時、雷雲の中心が、対岸の
斑鳩山《いかるがさん》の真上に迫っていて、この小暗い樹立の中には、黄斑《きわだ》....
「高浜虚子著『鶏頭』序」より 著者:夏目漱石
るのである。此光景を虚子と共に味わう気がなくっては、始から風流懺法は物にならん。
斑鳩物語《いかるがものがたり》も其の通である。所は奈良で、物寂《ものさ》びた春の....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
で 浮世烏《うきよがらす》が こう鳴いた おっしゃらしゃらしゃら しゃあらしゃら
斑鳩《いかるが》の陣太鼓 おしとど、おしとど 追いこんで おっしゃらしゃらしゃら....
「大和路・信濃路」より 著者:堀辰雄
て、大いに自分を発奮させ、それから夢殿《ゆめどの》の門のまえにある、あの虚子の「
斑鳩《いかるが》物語」に出てくる、古い、なつかしい宿屋に上がって、そこで半日ほど....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
。今一つ、忠臣蔵の桃井の家老でお馴染の名前だから記憶しているのである。 途中|
斑鳩《いかるが》の駅というを過ぎた時、聖徳太子の由緒の寺があって、参りはせなかっ....
「夢殿」より 著者:楠山正雄
へ帰ったということです。 四 太子のお住まいになっていたお宮は大和の
斑鳩といって、今の法隆寺のある所にありましたが、そこの母屋のわきに、太子は夢殿と....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
よ結構が整えられたらしく、その月の上旬に帰京し、私は法隆寺の前の宿に泊って短い「
斑鳩物語」の材料を得た。 京都に於ける漱石氏の記憶というのもこれだけに過ぎぬ。....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
眉輪王等とともに、雄略天皇の為に家ぐるみ焼かれてしまった。蘇我入鹿が山背大兄王を
斑鳩宮に焼かしめた時には、灰中の遺骨を見て王既に死し給うと誤解したという事実もあ....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
雑誌には、「法隆寺の最近調査の結果につきて」を、また同六年一月発行の夢殿には、「
斑鳩宮と
斑鳩寺に関する雑考」を、また同八年七月の歴史地理には、「法隆寺五重塔に関....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
、惜しいことに周囲が狭すぎて、十分の美しさを発揮しないように思われる。聖徳太子の
斑鳩宮は今の堂の配置とは異なっていたらしい。しかし講堂たる伝法堂は橘夫人の邸宅よ....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
茶屋までゆけば、わらじもあろう、笠もあろう」 ここを下れば、もう播州の龍野から
斑鳩へもほど近い。 だが、夏隣りのみじかくない日も、もう暮れかけていた。三日月....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
へ公示していた。 「――明日、道は今宿より西と南へ岐れるが、南の山陽道をとって、
斑鳩を経、船坂峠をこえ、やがて美作、伯耆、出雲へと越え出るぞ。そのつもりで、明朝....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
い。 いずれにしろ、義貞は、三月すえには、播州加古川に本陣をすえ、すすんでは、
斑鳩へ前線司令部をおいた。そしてまず序戦、赤松円心|則村の居城、白旗城を一気に抜....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ろをきわめ、この時も見さかいなく民家や寺院を双方で焼いた。 その間には、播磨の
斑鳩から急進してきた義詮の軍も尊氏をたすけ、佐殿方は木ッ端みじんに破れてしまった....