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「新京〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

新京の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
ある心の風景」より 著者:梶井基次郎
ていたりした。喬は自分も酒に酔ったときの経験は頭に上り、今は静かに歩くのだった。新京極に折れると、たてた戸の間から金盥《かなだらい》を持って風呂へ出かけてゆく女....
正義と微笑」より 著者:太宰治
一緒だった。 「よかったですね。」とその事務員が言った。「はじめの願書は、樺太、新京などからも来て、ざっと六百通ちかく集ったのですよ。」 「でも、まだわからない....
田舎教師」より 著者:田山花袋
山の桜は盛りであった。 「行違ふ舞子の顔やおぼろ月」という紅葉山人の句を引いて、新京極から三条の橋の上の夜のにぎわいをおもしろく語った。その時は和尚さんもうかれ....
社会時評」より 著者:戸坂潤
どころではない大問題だ。 とそう思って幾日も経たないのに、又々北鉄本線ハルピン新京間で旅客列車が匪賊の手によって顛覆され、多数の死傷者を出し、邦人数名が人質と....
死者の書」より 著者:折口信夫
れ早かれ、ありそうな気のする次の都――どうやらこう、もっとおっぴらいた平野の中の新京城にでも、来ているのでないかと言う気が、ふとしかかったのを、危く喰いとめた。....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
へ帰ったので、家族が京都で芝居を見たというのは唯この一度であった。しかし私は今は新京極というその頃の誓願寺や、錦小路天神、蛸《たこ》薬師、道場、祇園の御旅には、....
青春論」より 著者:坂口安吾
のだ。あの頃は仕事に自信を失って、何度生きるのを止めにしようと思ったか知れない。新京極に京都ムーランというレビューがあって、そこへよく身体を運んだ。まったく、た....
探偵の巻」より 著者:坂口安吾
京都の街が狭くなつて大いに弱つた。人口百万もあるくせに、盛り場がたつたひとつで、新京極まで行かなければ活動写真も見られない町である。東京には友達が何万人――はち....
投手殺人事件」より 著者:坂口安吾
指令してある。 ところが、彼らは失敗した。まッすぐ支局へ行けばよかったものを、新京極をブラついて、串カツで一杯ひっかけたりしたから、支局へ現れたのが、十一時五....
名古屋スケッチ」より 著者:小酒井不木
消しだが、さすがに玉は悪くない。 大須界隈 東京の浅草、大阪の千日前、京都の新京極、それに匹敵するのが名古屋の大須である。そこには金竜山浅草寺ならぬ北野山真....
春宵因縁談」より 著者:佐藤垢石
あろう。 それから用事が済むと子供の相手をさせられた。葦城の次男で、いま満州の新京へ行っている敏夫が、まだ三、四歳の坊やのころである。この坊やは毎日、書生の頼....
京のその頃」より 著者:上村松園
いた。ちょっと役者顔をした男だったが、私の母の話によると、元は市川市十郎と一緒に新京極の乞食芝居の仲間だった人だということで、それがいつの間にか零落して町芸人に....
六日月」より 著者:岩本素白
も漸く深い夜を、東山の影は黒々と眠って居たが、恵比須講の灯に明るい四条通り、殊に新京極の細い小路にはいる辺りは、通り切れぬほどの人出であった。四条大橋を渡って華....
牡蠣船」より 著者:田中貢太郎
秀夫は凭れるともなしに新京橋の小さなとろとろする鉄の欄干に凭れて、周囲の電燈の燈の映った水の上に眼をや....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
年四月八日 於東京 石原莞爾 昭和四年七月長春に於ける講話要領 昭和十三年五月新京に於て訂正 昭和十五年一月京都に於て修正 一 戦争の進化は人類一般文化の発達....