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新内
「新内〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
新内の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「文章」より 著者:芥川竜之介
》をかいてしまったのである。
読経《どきょう》は直《すぐ》にはじまった。保吉は
新内《しんない》を愛するように諸宗の読経をも愛している。が、東京|乃至《ないし》....
「老年」より 著者:芥川竜之介
らんなさい。芸事にゃあ、器用なたちでね。歌沢もやれば一中もやる。そうかと思うと、
新内《しんない》の流しに出た事もあると云う男なんで。もとはあれでも師匠と同じ宇治....
「夫婦善哉」より 著者:織田作之助
相変らずの「蝶柳」の上にサロンをつけて「サロン蝶柳」とし、蓄音器《ちくおんき》は
新内、端唄《はうた》など粋向きなのを掛け、女給はすべて日本髪か地味なハイカラの娘....
「世相」より 著者:織田作之助
紹介で住込仲居にはいった先がたまたま石田の店であった。石田は苦味走ったいい男で、
新内の喉がよく、彼女が銚子を持って廊下を通ると、通せんぼうの手をひろげるような無....
「深夜の市長」より 著者:海野十三
電灯の下をくぐり、そこにポツンポツンと三味を弾いて、これから商売にかかろうとする
新内流しの二人連れに訊ねると、待合の紅高砂家はすぐ分った。ゴタゴタした植込みを抜....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
の男がいる。上手に逢曳をしているので今まで誰にも覚られなかったのですが、お金には
新内松という悪い男が附いているのです。以前は
新内の流しを遣っていて、今の商売は巾....
「油絵新技法」より 著者:小出楢重
うのである。 如何に面白い日本音楽であったとしても、近代日本女性の複雑な恋愛が
新内によって表現される訳には行き難いし、われわれの悲しみを琵琶歌を以て申上げる事....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
っては残念でござるよ」 「ナニ、芸道とな? 何の芸道?」 「清元、常磐津、長唄、
新内、その他一般の三味線学でござる。日本古来よりの芸道でござる」 これを聞くと....
「夜の構図」より 著者:織田作之助
うな、甘ったるいラヴシーンで、凡そくだらない一幕だった上に、現代劇だというのに、
新内流しの下座がはいっていて、いつもの信吉なら、そのチグハグさに腹を立てるか、噴....
「明治時代の湯屋」より 著者:岡本綺堂
浄瑠璃、湯ぶくれ都々逸のたぐいは、明治以後も絶えなかった。義太夫、清元、常磐津、
新内、端唄、都々逸、仮声、落語、浪花節、流行唄、大抵の音曲は皆ここで聴くことが出....
「三枚続」より 著者:泉鏡花
入らなかったと見えて、 (ああ、弾くがね、お鳥目をおくれ。) (何を!) (私の
新内はばら銭じゃあ聞かせないんだよ。)ッて言いましたぜ、先生、御存じじゃありませ....
「式部小路」より 著者:泉鏡花
は、その薄紅に腫ぼッたい瞼が恐ろしく婀娜だった、お富といって、深川に芸者をして、
新内がよく出来て、相応に売った婦人でしたが、ごくじみな質で、八幡様|寄の米屋に、....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
の寄宿舎にいた頃は神保町の川竹(その頃は川竹とはいわなかったが)の常連であった。
新内の若辰が大の贔負で、若辰の出る席へは千里を遠しとせず通い、寄宿舎の淋しい徒然....
「早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
落語を初めて聞いたのもそこであった。綾之助や小土佐などの義太夫や加賀太夫や紫朝の
新内にはじめて聞きほれたのも、矢張りその牛込亭だったと思う。ところがどういうわけ....
「雷門以北」より 著者:久保田万太郎
碗」と「お碗」との区別を知らず、富豪にして「清元」と「長唄」とを混同し「歌沢」「
新内」の生粋を解せずして、薩摩琵琶、浪花節の露骨を喜び、旧劇の渋味をあざけりて壮....