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新婦人協会
「新婦人協会〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
新婦人協会の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「婦人と文学」より 著者:宮本百合子
語っているであろうか。 『青鞜』が廃刊になってから五年目の大正九年、平塚雷鳥が「
新婦人協会」を創立して、翌年の議会には参政権や花柳病男子排斥案を請願したことは、....
「女性の歴史の七十四年」より 著者:宮本百合子
う範囲のことであろう。 大正九年、大戦後の波は日本の社会にもうちよせ平塚雷鳥の
新婦人協会が治安警察法第四条の改正を議会へ請願したりする迄の十数年間、日本の一般....
「私たちの建設」より 著者:宮本百合子
廃させようとして、堺ため子が議会に請願書を出した。第一次大戦終了後の大正年代に、
新婦人協会など同じ目的のためにさまざまに努力したけれども、今回第二次世界大戦敗北....
「現実に立って」より 著者:宮本百合子
欧州大戦迄膨張をつづけて来たのであった。 第一次大戦終了の後、漸々《ようよう》
新婦人協会が治安警察法第五条の改正を議会に請願し、世界の社会情勢に押されて一九二....
「新婦人協会の請願運動」より 著者:与謝野晶子
また右の大阪朝日新聞社の大会へ東京から出席された平塚らいちょう女史が、帰来直ちに
新婦人協会の創立を発表し、主として全国婦人の連合運動を企図されるに到ったことなど....
「遠藤(岩野)清子」より 著者:長谷川時雨
病院で亡《なくな》った。 暮の押迫った時分だった。『青鞜』はもうなくなったが、
新婦人協会の仕事で、平塚さんは東京が離れられなかった。ありったけの手許の金を送っ....
「平塚明子(らいてう)」より 著者:長谷川時雨
とによくお働きでした。あれではとてもたまりません、『青鞜《せいとう》』時代――「
新婦人協会」時代――その間に御自分だけの生活としても、かなり複雑な――あなたの恋....
「日記」より 著者:宮本百合子
ないものであったかを思わずには居られない。 七月六日(水曜) 平塚らいてう氏の
新婦人協会が瓦解したと云う報道が新聞にある。 同性の微力を寂しく感じる。 あ....
「日記」より 著者:宮本百合子
とる。 新たに新聞広告をしたが、よい女中が来るかどうか。 平塚氏を中心とした
新婦人協会が平塚さんの隠退とともに婦人連盟となり、それが又離れて二つになろうとす....