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「新宮〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

新宮の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
大いに敬神の念を減じ、参らぬ神に社費を納めぬは自然の成行きなり。 熊野は本宮、新宮、那智を三山と申す。歴代の行幸、御幸、伊勢の大廟よりはるかに多く、およそ十四....
十二支考」より 著者:南方熊楠
原好古が記し居る。『紀伊続風土記』九十に尾鷲《おわせ》郷の地士世古慶十郎高麗陣に新宮城主堀内に従って出征し、手負《ておい》の虎を刺殺し秀吉に献じたが、噛まれた疵....
十二支考」より 著者:南方熊楠
《ひかるめ》を見たとは、かかる時電気で発する閃光だろう。『熊野権現宝殿造功日記』新宮に竜落ちて焼けたとあるは前述天火なるべく、『今昔物語』二十四雷電中竜の金色の....
十二支考」より 著者:南方熊楠
さず。『一話一言』一六に、『会津旧事雑考』より承安元年|辛卯《かのとう》を耶麻郡新宮の神器の銘に、弥勒元辛卯と記した由を引き、三河万歳《みかわまんざい》の唱歌に....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
九月には日向、大隅、同三年七月には胆振、同年十二月には山城、同四年六月には紀伊の新宮、京都、同五年五月には京都、同年十一月には越後、同八年七月には仙台、同十年六....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
輪崎)は紀伊国東|牟婁郡の海岸にあり、狭野(佐野)はその近く西南方で、今はともに新宮市に編入されている。「わたり」は渡し場である。第二句で、「降り来る雨か」と詠....
蛇性の婬 」より 著者:田中貢太郎
。常に都風たる事を好んで、過活心がないので、家の者は学者か僧侶かにするつもりで、新宮の神奴安部弓麿の許へ通わしてあった。 それは九月の末のことであった。豊雄は....
俊寛」より 著者:倉田百三
のは、あたりの様子がどことなしに那智の御山に似ているからです。あれは本宮、これは新宮、一の童子、二の童子とかりに所を定め、谷川の流れを那智の滝と思い、そこに飛滝....
たぬき汁」より 著者:佐藤垢石
一 伊勢へななたび熊野へさんど、という文句があるが、私は今年の夏六月と八月の二度、南紀新宮の奥、瀞八丁の下手を流れる熊野川へ、鮎を訪ねて旅して行った。秋の落ち鮎には、....
」より 著者:佐藤垢石
寺から一路車中の人となることができた。途中で、勝浦の越の湯に一泊し、翌朝姪夫妻は新宮からプロペラ船に乗って瀞へ行き、私ら親子は新宮の駅前からバスに乗り、五里奥の....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ていた。三日月茶屋で一息入れていたお杉隠居は、 「龍野までは、ちと無理、今夜は、新宮あたりの馬方宿で、臭い蒲団に寝ることかいの」 と、茶代をおく。 「どれ、参....
私本太平記」より 著者:吉川英治
で行った帰路の者かと察しられますが」 「む。うなずかれることがある。先ごろ、熊野新宮へ御寄進の大釜一口に、大檀那鎌倉ノ執権北条高時と、御銘を鋳らせたものを運ばせ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
る。――名だたる熊野海賊とよばれる水軍と海上の耳目をその勢力下にもっている田辺、新宮、那智の三山がこれに無関心でいるわけはない。 おそらく、尊氏からも、すでに....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
く平泉の藤原|秀衡の庇護の下にいて、自然児ぶりを振舞っていた源九郎義経は、熊野の新宮に叔父がいるのを知って、牡鹿の港から熊野通いの船にひそみ、紀州へ来て、那智の....
山の人生」より 著者:柳田国男
た、努力の痕跡とも解しえられぬことはない。 『西播怪談実記』という本に、揖保郡|新宮村の民七兵衛、山に薪採りに行きて還らず、親兄弟歎き悲みしが、二年を経たる或る....