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新屋敷
「新屋敷〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
新屋敷の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「心中浪華の春雨」より 著者:岡本綺堂
た。大宝寺町の大工庄蔵の弟子で六三郎《ろくさぶろう》という今年十九の若者が、南の
新屋敷《しんやしき》福島屋の遊女お園《その》と、三月十九日の夜に西横堀で心中を遂....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ればならぬのだから、気の毒だが今晩中に屋敷までとどけてくれ」 その屋敷は新宿の
新屋敷で、細井といえばすぐに判るとのことであった。どこへか持参するというからは、....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
出した。 「あれはたしか文久三年とおぼえています。なんでも六月の末でした。新宿の
新屋敷……と云っても、今の若い方々は御存知ないかも知れませんが、今日の千駄ヶ谷の....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
げである。 老人は語った。 これはこゝから余り遠くないところのお話で、新宿の
新屋敷――と云っても、あなた方にはお判りにならないかも知れませんが、つまり今日の....
「少年時代」より 著者:幸田露伴
私は慶応三年七月、父は二十七歳、母は二十五歳の時に神田の
新屋敷というところに生まれたそうです。其頃は家もまだ盛んに暮して居た時分で、畳数....
「縮図」より 著者:徳田秋声
井楼|界隈の米沢町から浜町、中洲が七分で、残り三分が源冶店界隈の浪花町、花屋敷に
新屋敷などで、大観音の裏通りの元大阪町では、百尺のほかにやっと二三軒あるくらいだ....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
の六カ所に分れ住んだ。富田新町には江戸子町、新寺町新割町には大矢場、上白銀町には
新屋敷の異名がある。富田新町には渋江氏の外、矢川文一郎、浅越玄隆らがおり、新寺町....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
であり妹である勘定《かんじょう》になります。 そうして、柳町から六条へ移り、「
新屋敷」の名が「三筋町《みすじまち》」となり、三転して今の朱雀《すざく》へ移って....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
上彦斎。 十二 根岸の御行《おぎょう》の松の下の、神尾主膳の
新屋敷の一間で、青梅《おうめ》の裏宿の七兵衛が、しきりに気障《きざ》な真似《まね....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ないものでござんしょうな」 とお世辞を言ったのは、二人ともに充分納得のゆく、この
新屋敷の同居人、不破の関屋の関守氏でした。 二十三 同居人と....
「鴫つき」より 著者:寺田寅彦
風で立止っていると、女の子は馬の腹をくぐって前へまわってまたダーダーと云いながら
新屋敷の方へ引いて行った。鴫はやっぱり見えぬらしい。要太郎も少しだれ気味で網を高....
「アド・バルーン」より 著者:織田作之助
たこともあるが、五年後の再会を思いだしたので、ふたたび発奮して九州へ渡り、高島、
新屋敷などの鉱山を転々とした後、昨年六月から佐賀の山城礦業所にはいって働いている....
「シェイクスピアの郷里」より 著者:野上豊一郎
を六十ポンドで買い取っていた。それを修繕して大屋敷《グレイトハウス》という名前を
新屋敷《ニュープレイス》と改め、其処へ引っ越して一六一六年に五十二歳で死ぬまで六....
「我が円朝研究」より 著者:正岡容
》をいかばかり羨ましくおもい返したことだったろう。そののち私は大阪島の内、または
新屋敷あたりの街裏を通るたんび再びこの「宗悦」や「権三と助十」などのお長屋風景を....