新帝[語句情報] » 新帝

「新帝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

新帝の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夜明け前」より 著者:島崎藤村
御の影響がどこまで及んで行くかはほとんど測りがたい、と景蔵の便りには言ってある。新帝はまだようやく少年期を終わらせらるるほどのお年ごろにしか達せられない、一方に....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
伊藤俊介、同じく中島作太郎なぞの面々がその応接室にはいって来た。当日は、ちょうど新帝が御元服で、大赦の詔も下るという日を迎えていたので、新政府の使臣、およびその....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
る。孝明天皇の御筆かと思うたのは一瞬時、陛下は已に先帝とならせられたのであった。新帝陛下の御践祚があった。明治と云う年号は、昨日限り「大正」と改められる、と云う....
李陵」より 著者:中島敦
はいまや大赦令《たいしゃれい》が降り万民は太平の仁政《じんせい》を楽しんでいる。新帝はいまだ幼少のこととて君が故旧たる霍子孟《かくしもう》・上官少叔《じょうかん....
十二支考」より 著者:南方熊楠
がて快《よ》くなるといい伝う。後光明帝崩御の時坂本の猴軽き疱瘡なりしとかや、今度新帝(東山天皇)御医薬の時山王の猴もまた疱瘡煩いける、被衣《かずき》調えさせてか....
現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
に於ても、文化統制は事実上行なわれているからである。例えば旧帝院の官僚的な解散と新帝院の天下り式結成とは、必ずしもプロレタリア美術との対立などを直接意識して行な....
現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
之を改組することは決して夫程困難なことではなかった。院展其の他を含んで拡大された新帝展を承認しない限り、日本画家は日本画の有力な展覧市場から閉め出されることにな....
源氏物語」より 著者:紫式部
と言っていたに違いない。左大将が右大臣になって関白の仕事もした。御母君の女御は新帝の御代を待たずに亡くなっていたから、后の位にお上されになっても、それはもう物....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
力の驕慢《きょうまん》が漂っているのが感ぜられる、ごく古いとともにごく若いドイツ新帝国の町々に慣れていた。そして今パリーから、不快な驚きを得た。横っ腹に穴のあい....
パラティーノ」より 著者:野上豊一郎
すがり、リヴィアの一言で助かったという一事によってもわかる。アウグストゥス歿後は新帝の生母ではあり、その権勢のいかに盛んであったかは容易に想像される。その上、彼....
魔都」より 著者:久生十蘭
、親仏派の皇甥を登極せしめようとしている仏国印度支那政庁に都合のいい口実を与え、新帝が登極した結果は当然自分の採掘権が取消され、競争者たる日興に奪われる羽目にな....
『七面鳥』と『忘れ褌』」より 著者:佐藤垢石
は、 ――大老は、関白尚忠と同腹にて、主上を仙洞御所に移し奉り、祐宮を擁立して新帝と仰ぎ奉り、関白をもって摂政となし、幕府の意の如く取り計らうべし―― とか....
三国志」より 著者:吉川英治
今度は前のように、だまれとはいわなかった。大きくうなずいて、 「誰か我がために、新帝を正して、宮闕の謀賊どもを討ち尽さん者やある」 爛たる眼をして、衆席を見ま....
三国志」より 著者:吉川英治
の楊彪が、初めて口を切った。 「丞相。今はその時ではありますまい。関中の人民は、新帝定まり給うてから、まだ幾日も、安き心もなかった所です。そこへまた、歴史ある洛....
三国志」より 著者:吉川英治
の大式典を執り行った。 同時に改元して、章武三年は、建興元年とあらためられた。新帝劉禅、字は公嗣。ときまだ御年は十七歳であったが、父の遺詔を奉じて、よく孔明を....