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新撰
「新撰〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
新撰の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「国貞えがく」より 著者:泉鏡花
かぬ前《さき》から、織次はどうしても持たねばならない、と言って強請《ねだ》った、
新撰物理書《しんせんぶつりしょ》という四冊ものの黒表紙。これがなければ学校へ通《....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
るのである。つまり実際に摺染せずに薫染するような気持と解するのである。また、榛は
新撰字鏡に、叢生曰榛とあるから、灌木の藪をいうことで、それならばやはり黄葉の心持....
「辞書」より 著者:折口信夫
語をあらわす文字を集めている。これは平安朝まで溯ることができる。『倭名類聚鈔』『
新撰字鏡』『伊呂波字類抄』、皆そうである。その前は、ことば――大事な語――を覚え....
「露の答」より 著者:坂口安吾
だの諏訪族、三輪族など、之等は先ず国神系統の代表的な氏族でしょうが、その他何々、
新撰姓氏録に数百の姓氏が記載せられて古い起源を示しているのは衆知のことです。とこ....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
に止って術を伝えて今日に至っている由。 むかし共産党その他の暴動対策に警視庁の
新撰組という棒部隊が出動したが、これぞ清水さんが術を伝えた産物で、あの棒が神伝夢....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
、必ずしも禁門守備の任に当るもののみにあらざることは、その播磨の佐伯部に関する『
新撰姓氏録』の記事によりても察するを得べし。播磨の佐伯部はもと武尊捕虜の後と称す....
「ハイカラ考」より 著者:木村荘八
り一般にわからない字や言葉は使わないものである。――昭和二年に、大槻如電編輯の『
新撰洋学年表』の改版広告が新聞へ出た時、割註を入れて、「御存知の方は御存知なるべ....
「「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
え八姓の首に真人というのがあった。天皇の御子から分れ出でた家に与えられたもので、
新撰姓氏録には特にこれを巻首に置き、その序に、「真人は是れ皇別の上氏なり、京畿を....
「くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
にタニグクまたはククの名あることを知らぬ。 ことに蟾蜍には、和名抄・本草和名・
新撰字鏡・伊呂波字類抄以下、すべて比支(或いは比支加閇留)と訓してあるのである。....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
奥は日の本故に、色白うして眼青みあり」とあるのはこれである。古く既に平安朝初期の
新撰姓氏録上表の文にも、奥州のことを「日出之崖」とある。鎌倉時代から室町時代にか....
「炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
姓の詐偽を正す必要があったのである。またこれを正すの目的で出来た筈の平安朝初めの
新撰姓氏録にすらも、明らかに夷姓のものが皇胤を称している実例もあるのである。社会....
「手長と足長」より 著者:喜田貞吉
族に縁がある。高橋氏は景行天皇東幸の際の御膳の役を勤めたものの子孫だと云う事で、
新撰姓氏録には、宍人朝臣・阿倍朝臣などと同じく、大彦命の後だとあるが、宍人とは獣....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
には箸入に作る。高山寺本に箸人とあるに従うべきものであろう。) 間人という姓は
新撰姓氏録に、 左京皇別上 間人宿禰 仲哀天皇皇子誉屋別命之後也。 山城国皇別 ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
|基俊の弟子となった。基俊は康治元年に世を去ったから、足かけ五年の間であった。『
新撰朗詠集』の撰者でもあり、『金葉集』の撰者|源俊頼と対立して下らなかった人。顕....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
わぬところで、「日本紀」には、継体天皇の皇子|椀子皇子は三国公の先なりとあり、「
新撰姓氏録」に三箇所まで見えている三国真人も、いずれも継体の皇子椀子王の後なりと....