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「新暦〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

新暦の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
は極月十三日と決めていると云った。 「わたくしなぞは昔者《むかしもの》ですから、新暦になっても煤掃きは十三日、それが江戸以来の習わしでしてね」 「江戸時代の煤掃....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
きりぎりすを飼ってくださいと云った。虫の話がすんで風鈴の話が出た。それから今夜は新暦の八月十五夜だという話が出た。 「暦が違いますから八月でもこの通り暑うござん....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
した小さい鉢を縁側に置きながら云った。「しかし此の頃はなんでも早くなりましたね。新暦の五月のはじめにもう稗蒔を売りにくる。苗屋の声も四月の末からきこえるんだから....
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
、先ず表向きは何の不思議も無しに江戸を立つことになりました。 それは六月の末、新暦で申せば七月の土用のうちですから、夏の盛りで暑いことおびたゞしい。武家の道中....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
ひと月ばかりは何かごたごたしていましたが、それがようよう落着くと五月のなかばで、新暦でも日中はよほど夏らしくなってまいりました。 父は今まで世間の附合いを広く....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
の暦にくらべると一か月ほど早い。これは前年十二月上旬をもって太陰暦の終わりとし、新暦による正月元日が前年の冬のうちに来たからであった。 人心の一新はこんな暦か....
探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
いた。吉之助はとどこおりなく学校にかよっていた。この年の五月はとかく陰り勝ちで、新暦と旧暦を取り違えたのではないかと思われるような五月雨めいた日が幾日もつづいた....
画舫」より 著者:豊島与志雄
天赤くなるともいわれていますし、或は日月並び出るのが見られるともいわれています。新暦元旦の早朝に登って、初陽に祈念する人もあるそうです。 この元旦の未明、陳秀....
鴛鴦鏡」より 著者:岡本綺堂
ることであるが、ここらも暦が新旧ともに行なわれていて、盆や正月の場合にも町方では新暦による、在方では旧暦によるという風習になっているので、今この事件の起った正月....
怪獣」より 著者:岡本綺堂
は七年前の八月、残暑のまだ強い頃であった。大抵の地方はそうであるが、ここらも町は新暦、近在は旧暦を用いているので、その頃はちょうど旧盆に相当して、近在は盆踊りで....
有喜世新聞の話」より 著者:岡本綺堂
いた。吉之助はとどこおりなく学校にかよっていた。この年の五月はとかく陰り勝ちで、新暦と旧暦を取り違えたのではないかと思われるような五月雨めいた日が幾日もつづいた....
チェーホフ試論」より 著者:神西清
かれなかった。その代り彼は死の床で、最後の「陽気な」台詞を吐いた。彼は一九〇四年新暦七月十五日、南ドイツの鉱泉地バーデンヴァイラーの旅舎で安らかに死んだ。その臨....
木曽の怪物」より 著者:岡本綺堂
なき所用あって信州軽井沢へ赴いて、凡そ半月ばかりも此の駅に逗留していた。東京では新暦の雛の節句、梅も大方は散尽くした頃であるが、名にし負う信濃路は二月の末から降....
日和下駄」より 著者:永井荷風
なくなった。しかし目に見る青葉のみに至っては、毎年《まいねん》花ちる後《のち》の新暦五月となれば、下町《したまち》の川のほとりにも、山の手の坂の上にも、市中《し....
撥陵遠征隊」より 著者:服部之総
の武器である。 プリンス・ジェロム湾(牙山《かざん》湾)に着いたのが五月八日(新暦)の金曜日、翌日漢江を遡るという段になって、武器を一同に渡して使用法を教えた....