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新田
「新田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
新田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「戯作三昧」より 著者:芥川竜之介
去年の春、彼のところへ弟子《でし》入りをしたいと言って手紙をよこした、相州朽木上
新田《そうしゅうくちきかみしんでん》とかの長島政兵衛《ながしままさべえ》という男....
「路上」より 著者:芥川竜之介
た眼で、もう一度「それから?」と云う相図《あいず》をした。
「そこで君から一つ、
新田《にった》さんへ紹介してやって貰いたいんだが――
新田さんと云うんだろう。あの....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ついて来た。吾妻《あずま》橋を渡って、本所を通り越して、深川の果ての果て、砂村|
新田《しんでん》の稲荷前にゆき着いたのは八幡の鐘がもう夕七つ(午後四時)を撞き出....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
とは勿論嘘でしょうが、矢口渡の船頭が足利方にたのまれて、渡し舟の底をくり抜いて、
新田《にった》義興《よしおき》の主従を川へ沈めたというのは本当なんでしょうね」 ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
て、寒い風に吹きさらされながら戻って来ると、ここらもやはり混雑していて、万年屋も
新田屋も客留めの姿である。二人は隅のほうに小さくなって、怱々に飯をくってしまった....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
通り、弁天通りが開かれる。野毛の橋が架けられる。あくる万延元年の四月には、太田屋
新田の沼地をうずめて港崎町の遊廓が開かれる。外国の商人館が出来る。それからそれへ....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
局総裁談などからうかがわれる。 午後二時迄に、その返答が米英から届くそうだと、
新田君が来ていう。 ◯とにかく、遂にその日が来た。しかも突然やって来た。 どう....
「火星兵団」より 著者:海野十三
町でとったものだ。その時、写真屋さんの店へ上ったのは、千二ただ一人ではなかった。
新田先生も、一しょだった。つまり
新田先生が、小学校をおやめになって、大阪へ行かれ....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
歳で現世を去りました。私の地上に居った頃は朝廷が南と北との二つに岐れ、一|方には
新田、楠木などが控え、他方には足利その他東国の武士どもが附き随い、殆んど連日戦闘....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
思ひしか、恐る/\申すやうは、先代塩原の家は当所より北の方(三里余)へ隔たりし下
新田村と申すなりと、こま/″\と物語り、わたくしは初代の甥にあたる金右衛門と申す....
「悪因縁の怨」より 著者:江見水蔭
、天保時代にはとてもそう行かなかった。 第一、羽田稲荷なんて社は無かった。鈴木
新田という土地が開けていなくって、潮の満干のある蘆の洲に過ぎなかった。 「ええ、....
「画道と女性」より 著者:上村松園
年の博覧会かにも清少納言を描いた記憶がある。その頃からのことを思い出してみると、
新田義貞や、平重衡や、源頼政やの古事を題材としたことなどもあり、大石義雄とお軽の....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
一時の静謐を保っているようなものの、世はほんとうの太平に立ちかえった訳ではない。
新田義貞は討たれてもその弟の義助がいる、楠正成はほろびてもその子の正行がいる。そ....
「久保田米斎君の思い出」より 著者:岡本綺堂
舞台装置、その後しばらく間が切れて、明治四十三年の九月に明治座で、今の歌右衛門が
新田義貞をした『太平記足羽合戦』という三幕物を私が書いた。その時分にやはり舞台装....
「栖鳳先生を憶う」より 著者:上村松園
は歴史画が、そうまあ流行どすな、全国青年共進会に御苑の桜が咲き門外で供侍が待ち、
新田義貞と勾当内侍を描いた大和絵式のものを出品しまして先生のお賞めにあずかった事....