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新羅
「新羅〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
新羅の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
分に吹ける筈だそうです。笙の秘曲なぞを伝えるのも矢はりそれだそうで、例の足柄山で
新羅三郎義光が笙の伝授をする図に、義光と時秋とがむかい合って笙を吹いているのは間....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
会と変って、同じ年の十二月、明治座で第一回を開演することになったので、私は史劇「
新羅三郎」二幕を書いた。つづいて翌四十年七月の第二回(新富座)には「阿新丸」二幕....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
ける大小幾多の合戦中での精華と云ってもよいのである。 武田の家は、源義家の弟|
新羅三郎義光の後で、第十六代信虎の子が信玄である。幼名勝千代、天文五年十六歳で将....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
武田家では曝涼をした。 今年は七月の八日というのがちょうどその日に当っていた。
新羅三郎義光以来連綿と続いて来た武田家である。その間およそ五百年。珍器も集まろう....
「天馬」より 著者:金史良
るや誰かがよう玄さんと叫んだ時も、彼はへへへと笑ったまま踵《きびす》を返し、バー
新羅の中を窓を開けて覗いたとき、おい気違い、乞食野郎! と皆から罵声を浴びせられ....
「死者の書」より 著者:折口信夫
。 難波へと言った自分の語に、気づけられたように、子古は思い出した。今日か明日、
新羅問罪の為、筑前へ下る官使の一行があった。難波に留っている帥の殿も、次第によっ....
「夢殿」より 著者:楠山正雄
ったのかとお悟りになって、お経を太子に下さいました。 太子が八|歳の年でした。
新羅の国から仏さまのお姿を刻んだ像を献上いたしました。その使者たちが旅館に泊って....
「赤い玉」より 著者:楠山正雄
が、 「あなたはだれです。」 とお聞きになりますと、その神さまは、 「わたしは
新羅の国からはるばる渡って来た天日矛命というものです。どうぞこの国の中で、わたし....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
は!」とさすがの要介も、郷士ながらも所の領主、松平|大和守には客分にあつかわれ、
新羅三郎|義光の後胤甲斐源氏の名門であり、剣を取らせては海内の名人、しかも家計は....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
ち蝦夷が兵士として使役せられしこと、また由来すこぶる古し。雄略天皇の崩ずるや、征
新羅将軍吉備尾代の率いたる五百の蝦夷これを聞き、相いいて曰く、わが国を領制する天....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
のでありますから、これは全くはまり役です。今から千六十年ばかり前、貞観十一年に、
新羅の海賊船が二艘やって来て九州博多の海岸を掠めた時の如き、太宰府の軍人は臆病で....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
のであって、調子も字に書いた上では調っていない。巻十六に、 梯立の 熊来の海底に
新羅斧陥れ、ワシ かけてかけて な泣かしそね 浮び出るやと見む、ワシ などとある....
「古事記」より 著者:太安万侶
負つて渡りました。順風が盛んに吹いて御船は波のまにまに行きました。その御船の波が
新羅《しらぎ》の國に押し上つて國の半にまで到りました。依つてその國王が畏《お》じ....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
おりまして、両者の交通混淆も多い。皇室の御上について申さば、神功皇后の御母方は、
新羅の王子|天日槍の後だとあります。また桓武天皇の御生母なる高野皇太夫人は、百済....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
したという事実はない。既に桓武天皇の御生母は百済氏の出であり、神功皇后の御母方も
新羅の天日槍の後裔だと言われている通りで、そのほかにも支那、朝鮮から帰化した者は....