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新見
「新見〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
新見の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「科学者と芸術家」より 著者:寺田寅彦
学者の研究の目的物は自然現象であってその中になんらかの未知の事実を発見し、未発の
新見解を見いだそうとするのである。芸術家の使命は多様であろうが、その中には広い意....
「蒲団」より 著者:田山花袋
が出来るだろうかどうかなどと考えて歩いた。 神戸の女学院の生徒で、生れは備中の
新見町で、渠の著作の崇拝者で、名を横山芳子という女から崇拝の情を以て充された一通....
「田端日記」より 著者:芥川竜之介
から、いい気になって読んでいると、うっかりしている間に、飯田橋の乗換えを乗越して
新見附まで行ってしまった。車掌にそう云うのも業腹だから、下りて、万世橋行へ乗って....
「千早館の迷路」より 著者:海野十三
にも一二度ありました。それはわたくしの父が戦死したその時刻のことです。わたくしは
新見附の停留場に立っていましたが……いや、こんなことは事件に関係ないんですから、....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
まる、壬生《みぶ》の南部屋敷に本営を置いて、芹沢鴨と近藤勇を隊長に、土方歳三と、
新見錦山と南敬助とが副将じゃ」 「そうか」 「拙者もこんな風《なり》をして、浪人....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
る必要のあるのは政友会ではなくて重臣ブロックだというのである。――つまり久原氏の
新見解によると、政友会に不利な不埒な存在は、今や国維会新官僚から、鈴木総裁の頭上....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、これを実行するの手腕と、地位とを、十分に与えられておりました。 彼が最初――
新見、村垣らの幕府の使節と共に米国に渡ったのは僅かに二十余歳の時でありました。或....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
でなければできないことでした。 万延元年(この小説の時代より五六年前)幕府が、
新見豊前守を正使とし、村垣淡路守を副使とし、小栗上野介《おぐりこうずけのすけ》を....
「霊訓」より 著者:浅野和三郎
がないからである。無論できる限り、それ等の材料に補修改造を施し、且つ真理に対する
新見解を、これに注入すべく全力を挙げる。が、何と言っても既製品を使用するのである....
「柳原燁子(白蓮)」より 著者:長谷川時雨
どんな親しい人にも言ったことがないほどかたい人だった。この姉妹は幕末の外国奉行|
新見豊前守《にいみぶぜんのかみ》の遺児だという。ここにも悲しき女《ひと》はいたのだ。....
「福沢諭吉」より 著者:高山毅
府は、まえにとりきめたやくそくにしたがって、条約書をとりかわすために、アメリカへ
新見豊前守・村垣淡路守・小栗豊後守の三|人を使節として、おくることになりました。....
「妖影」より 著者:田中貢太郎
、八時|比になって帰りかけたが、久しぶりで神保町の本屋をひやかしてみる気になり、
新見附から九段へ出て、神保町の右側の方を歩いていた。その葉も靄があって、街路の燈....
「つゆのあとさき」より 著者:永井荷風
うのよ。」 二人は夜ふけの風の涼しさと堀端のさびしさを好い事に戯れながら歩いて
新見附《しんみつけ》を曲り、一口阪《ひとくちざか》の電車通から、三番町《さんばん....
「早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
電車通りの所から停車場までの間が花のトンネルになり、停車場沿いの土手にも、ずっと
新見附のあたりまで爛漫と咲きつらなり、お濠の水の上に紛々たる花ふぶきを散らしなど....
「それから」より 著者:夏目漱石
になって、この松を見ながら、草臥《くたびれ》る所まで堀端を伝って行く気になった。
新見付へ来ると、向うから来たり、此方から行ったりする電車が苦になり出したので、堀....