新詩[語句情報] » 新詩

「新詩〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

新詩の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
余が翻訳の標準」より 著者:二葉亭四迷
フスキー流にやるには、自分に充分の筆力があって、よしや原詩を崩しても、その詩想に新詩形を附することが出来なくてはならぬのだが、自分には、この筆力が覚束ないと思わ....
思い出す事など」より 著者:夏目漱石
ろうと調停してくれたので、余はようやく助かった。 その時余は三山君に、 遺却新詩無処尋。 ※然隔※対遥林。 斜陽満径照僧遠。 黄葉一村蔵寺深。 懸偈壁間焚仏....
俳諧瑣談」より 著者:寺田寅彦
という案である。 なんだか夢のような話であるが、しかし百年たたないうちにそんな新詩形が東洋の日本で生まれ出て、それが西洋へ輸入され、高慢な西洋人がびっくりして....
なかじきり」より 著者:森鴎外
アルシャイスムを脱しがたく、国民文学として立つゆえんにあらざるをいったので、款を新詩社とあららぎ派とに通じて国風新興を夢みた。小説においては、済勝の足ならしに短....
厨房日記」より 著者:横光利一
マニア人であったが、いつの間にか彼の生来の鋭い詩魂は光芒を現して、現在のフランス新詩壇では彼に追随するものが一人もないと云われるほど絶対の権威を持続するまでにい....
詩の原理」より 著者:萩原朔太郎
創形した――は、一時短歌と並んで流行し、丁度明治の新体詩の如く、大いにハイカラな新詩形として行われたが、その後いくばくもなく廃《すた》ってしまった。後にまた古今....
婦人と文学」より 著者:宮本百合子
うになった。蘆花の「不如帰」の出たのは三十二年である。 与謝野鉄幹を中心とする新詩社から『明星』が発刊されたのが三十三年であって、『明星』のぐるりに今日洋画壇....
婦人作家」より 著者:宮本百合子
青木繁、石井柏亭など日本の洋画の先駆をなした画家たちが、与謝野鉄幹を中心として「新詩社」を結成した。二年前に『文学界』が廃刊された。鉄幹は透谷、藤村などのロマン....
美術学校時代」より 著者:高村光太郎
三年に「明星」が始まった。これが華々しい運動となった。 「明星」の四号位からその新詩社に入社したが与謝野先生の添削は大へんなもので、僕の歌なども僕の名前がついて....
歌の円寂する時」より 著者:折口信夫
その平明な日常語を標準とした表現と、内容としての若干の「とぼけ」趣味が、彼の歌を新詩社一流の、あつい息ざしを思わせるものとは懸け離れた、淡い境地を拓かしたのであ....
詩語としての日本語」より 著者:折口信夫
」と選ぶ事のない程安易な物になったが。明治三十二年以後著しい短歌改革運動を行った新詩社の人々の短歌に収容した詩語は、やはりぎりしやをそういう風に言い表しただけで....
郷愁の詩人 与謝蕪村」より 著者:萩原朔太郎
鑑賞上には存在の区別がないはずである。しかも今日の日本では、僕らのいわゆる詩人(新詩人)が、他の伝統詩の歌人や俳人に比して、比較的に自由な新しい鑑賞眼を所有して....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
移ったことでも判るのである。 それにしてもこの人たちは、何故に自分たちのための新詩型を創造しようとしないで、三十一音の短歌形式をまもりながら彫心鏤骨を敢てした....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
たものだった。そうだ、あの少し以前に、私たちの雑誌『屋上庭園』は私の官能の色濃い新詩「おかる勘平」で発売禁止になったものだ。ちょうどその晩に、小伝馬町の三州屋の....