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方法的
「方法的〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
方法的の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「李陵」より 著者:中島敦
りょう》のために弁じたこと、これはいかに考えてみてもまちがっていたとは思えない。
方法的にも格別|拙《まず》かったとは考えぬ。阿諛《あゆ》に堕《だ》するに甘んじな....
「愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
る性質の知識であって、われらの生活の実行的意識の理想から対象物を眺めたる部分的、
方法的なる物の外面的の知識系統であって、物そのものの内面的なる会得ではない。ここ....
「科学論」より 著者:戸坂潤
て必要な限りの現実界の部分に照応しているだけの世界観の部分を取り出し、之を科学的
方法的に仕上げることになる。従ってこの際、イデオロギーも亦、全体を以て作用出来ず....
「イデオロギーの論理学」より 著者:戸坂潤
この政策は例えば理論的計画として、人々の手に、通路に方法に、横たわる。 性格が
方法的であることは今や明らかとなったであろう。併し
方法的であることは常に実践的に....
「現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
よりの功績は、夫が物理学を数学化・幾何学化したことである。物理学は之によって愈々
方法的となり理論的となり、精密となることが出来た。処で――そう彼等は主張する――....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
他ならぬ実験という操作が与えたものなので、もっと厳密に云うなら、意識的で組織的で
方法的な意義を持つ限りの実験的操作の有無によって分れた差別だったのである。この点....
「認識論とは何か」より 著者:戸坂潤
抜いていたようだ。 だが私は、認識は科学的でなければならぬとか、体系的(つまり
方法的)でなければならぬとか、そういう主観的な側面からばかり認識なるものを説明し....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
て一種の直覚的な具象性にまで高めて出来上った処の、文学的表象ではなくて、そういう
方法的な検証を経ない天才的な(?)イデーが物を云い出すと、人に判らなければお筆先....
「科学と科学の観念」より 著者:戸坂潤
。体系的ということで科学的の代りになると云うか。然らば一切の法律は科学的である。
方法的であることか。では囲碁は科学であるのか。 一般化が科学的か。未開人は一切....
「文学への実感について」より 著者:豊島与志雄
ある。――斯くて、作家達は各自にそれぞれ特別な肚の据え方をして、或は観念的に或は
方法的にいろいろの探究をなし、極言すれば、文学ジャンルの進展を夢みてる者もあろう....
「範疇としての空間に就いて」より 著者:戸坂潤
までのことを裏から反覆して見れば、向の二つの事情、空間表象の根源性と物理的空間の
方法的な性質とは、もし空間をば制約という意味に於ての範疇でないと考えるならば、解....
「空間概念の分析」より 著者:戸坂潤
析は何の結果をも約束するものではないであろう。結果を約束しない仕方、それは最も非
方法的である。吾々の分析はかかる煩瑣的思弁と混同されてはならない。 * この場合....
「〔付〕唯物論研究に就て(戸坂潤手記)」より 著者:戸坂潤
々自身の研究を進める上に於て必要だということである。何となれば吾々の唯物論研究は
方法的に言っても一つの総合的研究であらねばならぬ。その為には、個人の書斎裡に於け....
「文芸評論の方法について」より 著者:戸坂潤
学的評論ということは、歴史的材料について見れば明らかなように、要するに文芸評論の
方法的に自覚された形態一切を、包括するわけだ。どれが本当に科学的であるかは別とし....
「日本の民衆と「日本的なるもの」」より 著者:戸坂潤
道徳のことではなくて、文学的認識に於ける、認識論上の、或いは又文芸学上の、一つの
方法的なカテゴリーのことだ。世間では之をモラルとも呼んでいるのである。 さてこ....