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旅日記
「旅日記〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
旅日記の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「虚構の春」より 著者:太宰治
《かぜ》で三日ほど寝ては、病床閑語。二時間の旅をしては、芭蕉《ばしょう》みたいな
旅日記。それから、面白くも楽しくも、なんともない、創作にあらざる小説。これが、日....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ようとした金蔵の心が、またもがらりと変って、もとの無頼漢になるのです。 兵馬が
旅日記を書き終って、いま寝ようとするところへ、金蔵がやって来ました。 「御免下さ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
いつを持って歩いてると、まさかの時にこれが命の綱となるのでございます」 兵馬は
旅日記を書いていましたが、 「なかなか、器用に撚《よ》れますな」 「へえ、子供の....
「母」より 著者:宮本百合子
こんだ。そして旅に出た日からかえるまで船の中ででもホテルでも、殆ど一日もぬかさず
旅日記を書きとおした。 医者は危険だと云ったような一世一代の大旅行を無事になし....
「葭の影にそえて」より 著者:宮本百合子
ず、昭和四年五月から十一月まで凡そ七ヵ月に亙る一家の欧州旅行にあたって、終始その
旅日記を書きとおしたのは、ほかならぬ目の不自由な母であった。多人数の落つかぬ外国....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
はじめている時分、宇津木兵馬は二階で日記を書いておりました。 兵馬に感心なのは
旅日記を書くことで、不可抗力の際でもなければ、曾《かつ》てこれを怠るということが....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ら詩となり、でたらめが即ち知識となって続々飛び出して来ます―― マルコポーロの
旅日記というのを 見ると やっぱり多数の男が 一人の細君を共有しているところが ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
午後、福松は欣々《いそいそ》として宿に帰って来ました。 その時に、宇津木兵馬は
旅日記を認《したた》めておりましたのですが、そこへ、欣々として帰って来た福松が、....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
たお艶を残して、そのとたんに、庭に面した障子はもう泰軒をのんでいた。
北国
旅日記《ほっこくたびにっき》
「親方ア! 返り馬だあ。乗ってくらっせえよ」
....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
・テアトル(芝居風呂)などと洒落た名前を付けた湯屋もある。 三 円朝の
旅日記 次は「塩原多助一代記」である。これも円朝の作として有名なものであるが、....
「我が人生観」より 著者:坂口安吾
つくったのだろう。これは、たしか、奥州の旅に立ってまもなく、よんだ句のようだが、
旅日記を読むと、意味がハッキリする句だったかな? 私は温泉につかりながら、天城さ....
「私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
たたび松山を去るまでの一年間に私の見た写真が数本ある。 伊藤の「流転」、「忠次
旅日記甲州篇」、現代劇で「彼を繞る五人の女」、阪妻の「大義」、右太衛門の「紫頭巾....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
まぎれ込み、やがて、間もなく見えなくなった。 婢女の持って来た茶を飲みながら、
旅日記をつけていた陣十郎が、この時澄江へ声をかけた。 「澄江殿、茶をめしあがれ」....
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
れは便宜のために仮りに分けたのであります。これからそれらの各地を訪ねて、長いその
旅日記をつけることと致しましょう。東京を振出しに一旦北に上り、それから順次に南へ....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
たような、密接な関係のある者で、主命として廻国に出た者も決して尠くない。 柳生
旅日記で聞えている十兵衛|三厳は、寛永三年の十月、二十歳の時、家光の御前を退いて....