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旅順
「旅順〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
旅順の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「少年」より 著者:芥川竜之介
いつのまにか彼を見離してしまった。今日《こんにち》の彼は戦《いくさ》ごっこの中に
旅順港《りょじゅんこう》の激戦を見ないばかりではない、むしろ
旅順港の激戦の中にも....
「振動魔」より 著者:海野十三
いうのだ。 柿丘が呉子さんに説明したところによると、今回協会の奨励金を貰って、
旅順大学の東京派遣研究班が、主として音響学について研究するということに決定ったそ....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
いることができた。 戦争が始まるとすぐ、父は後備混成第何旅団の大隊長となって、
旅順へ行った。 僕は父の軍隊を上野停車場で迎えた。そして一晩駅前の父の宿に泊っ....
「戦話」より 著者:岩野泡鳴
」 「それが、さ、君忘れもせぬ明治三十七年八月の二十日、僕等は鳳凰山下を出発し、
旅順要塞背面攻撃の一隊として、盤龍山、東鷄冠山の中間にあるピー砲台攻撃に向た。二....
「未来の地下戦車長」より 著者:海野十三
は、仔細《しさい》を物語って、平伏《へいふく》した。――どうだ、聞いているかね」
旅順戦《りょじゅんせん》の坑道《こうどう》 「ええ、聞いております。なかなか面白....
「政談十二社」より 著者:泉鏡花
して、何か自分が山の祠の扉を開けて、神様のお馬の轡を取って、跣足で宙を駈出して、
旅順口にわたりゃあお手伝でもして来たように申しますが、ちっとも戦のあった最中に、....
「春」より 著者:岡本かの子
内の古い患者とは知り合いが多いと言う。 ――あの男は日露戦争の勇士です。第一回|
旅順攻撃の時負傷して、命は助ったんですが気が違ったんです。 ――おとなしいんです....
「赤げっと 支那あちこち」より 著者:国枝史郎
うして今は満鉄の嘱託をしている東京美術学校出身の日本画画家I氏の案内で僕達夫妻は
旅順へ行き、東鶏冠山その他の日露戦争の戦跡を巡覧したり、満日
旅順支社長の海旋風氏....
「雪柳」より 著者:泉鏡花
一艘」が口癖で、ただし時世だけに視野が狭い。……香港、新嘉坡といわないで、台湾、
旅順へ積出すと言います……そこいらの胸算用――計画の覚だ、と思うから、見る気の起....
「ハイカラ考」より 著者:木村荘八
、女の飾髪の廂髪、――その高大に突き出した有様をぬからず当時の記憶に生々しかった
旅順の戦跡になぞらえて、「二百三高地」と呼ばれた。この二百三高地・廂髪が一口に「....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
戸の戯作者の浮世三|分五厘の人生観を歌っていたのだ。 この緑雨の死亡自家広告と
旅順の軍神|広瀬中佐の海軍葬広告と相隣りしていたというはその後聞いた咄であるが、....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
交通輸送の状況等を細さに調査した後、終に東清鉄道沿線の南満各地を視察しつつ大連、
旅順から営口を経て北京へ行った。 川島浪速と佐々木照山・提調時代の生活・衝突帰朝....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
当時この完成を急がしめた事については、翌五月には折柄依然日露戦争継続中の事とて、
旅順方面における戦地見学の為に、満洲に出張すべき内命を受けていたからであったこと....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
中国人のひくヤンチョが通る。アカシヤやポプラも美しい。しかしめざす英組の菊本氏は
旅順の谷口組に移ったとかでいなかった。心からあてにしていただけに落胆も大きかった....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
軍参謀に転補。当時の関東軍参謀は今日考えられるように人々の喜ぶ地位ではなかった。
旅順で関東庁と関東軍幹部の集会をやる場合、関東庁側は若い課長連が出るのに軍では高....