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族党の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
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私本太平記」より 著者:吉川英治
いた。 いや、そのほか、三州知多の吉良、仁木、斯波、一色、今川など、足利支流の族党たちの家々からも、名代、あるいは有縁の者が、 「御盛儀のおん祝いに」 と、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
島入道の次男だが、同族の服部家へ、養子となった。 伊賀の服部、上島、太田などの族党は、平家の世頃、一門と共に栄えた伊賀ノ平内左衛門家長の流れである。――だから....
私本太平記」より 著者:吉川英治
らい九州は統治にむずかしい所とされていた。筑紫の強豪一藩一藩はどれ一つ生やさしい族党ではない。その筑紫で十年以上も探題をつとめあげてきた英時には、ただの官僚の才....
私本太平記」より 著者:吉川英治
かつて隠岐の島へ潜入して、後醍醐の脱出をたすけ、また綸旨をもたまわって、そのごは族党の宗家新田義貞へたいして、しきりに何かの画策をすすめていた者。 いま思うと....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ってしまったのである。 天佑とはこんなことか。 その晩である。 三浦三崎の族党、三浦兵六左衛門義勝が、おなじ陣にいた松田、河村、土肥、本間などの相模党の武....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ことだろう。われらのような地方武者の、家ノ子郎党合せても二、三百に足りぬ中階級の族党はどうなんだ?」 「さ。そこまでは、聞いてもおらん。おそらくは、われらの上ま....
私本太平記」より 著者:吉川英治
損うな。殿上の衣冠などは雛人形でも着る。また、すでに白骨となった者、生ける一門の族党、ましてそちまでを、裏切っていいものか。尊氏はそちたちが観ているよりは、ずん....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ぬまであった。だが、つづいて四天王寺の正季もひきあげて来たことから、がぜん四隣の族党のあいだでは、いろんな論議や臆測がおこっていた。それらをなだめるのにも正成は....
私本太平記」より 著者:吉川英治
裔、尊氏の寸心にも、ひとつの信条がござりまする。そして直義はもとより、足利一類の族党から志に大同して来た諸国武士どもの希望もまた、ことごとく、それの具現にありま....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
されてゆく隠岐ノ島の地頭も、道誉とおなじ佐々木同族の清高だった。当時、佐々木系の族党は、近江本国から武蔵、相模、三河、出雲、備後にまで分布されていた点も、高氏の....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
尼の乞いのため、いやいや意志を曲げたものなら、なにも、頼朝の身を、殊更に、源氏の族党の多い――そして源氏の地盤ともいえる関東地方などへ流してやる必要はないという....