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日光山
「日光山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
日光山の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「紀行文家の群れ」より 著者:小島烏水
の中では『南船北馬』(明治三十二年九月版)が最もすぐれている。「多摩の上流」や「
日光山の奥」のごとき名篇が、その中に収められている。(昭和十一年七月)....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
らと共に熱い汗を流し続けた。幕府では四月十七日を期し東照宮二百五十回忌の大法会を
日光山に催し、法親王および諸|僧正を京都より迎え、江戸にある老中はもとより、寺社....
「黴」より 著者:徳田秋声
按摩などの口から時々に聴き取って、ほぼ明らかになっていた。町の宿屋という宿屋は、
日光山へ登る旅客がここを通らなくなってからは、大抵|達磨宿のようなものになってし....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
の高々に応じて、人別で沙汰するようにするのですナ」 「殿、おそれながら……」 「
日光山から四十里のあいだは、御修覆ができあがるまで、住民の旅立ち、その他すべて、....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
ました。 「そしてその家の主人の名前は……」 「柳田将監という笛の名人だったよ。
日光山に住んでいる……」雨蛙は自分の師匠の名を自慢そうに言って聞かせました。 「....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
った。その寛永には十六年十一月に越前にも大きな地震があった。 正保元年三月には
日光山、同年九月には羽後の本荘、同三年四月には陸前、磐城、武蔵、同四年五月には、....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
て跪《ひざまず》いて、天子様の万歳をお祝い申し上げる、それから下野《しもつけ》の
日光山にまいりますと、権現様の前へ跪いて天下の泰平をお祝い申し上げるのです。それ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
、大国主の袋をも不尽の袋と見て二神を合一したのだ。 次は槌だ。『譚海』一二に、
日光山には走り大黒というあり、信受の者|懈怠《けたい》の心あらば走り失《う》せて....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
を防ぐために、二十年目ごとに、富を擁《よう》しているらしい藩を順に指名して、この
日光山大修復のことに当たらせ、そのつもった金を吐きださせようという魂胆であった。....
「正雪の遺書」より 著者:国枝史郎
て征むるに難い。しかし某の兵法をもってすれば陥落れることも容易である。一手は下野
日光山に立籠もることも肝要でござろう。華麗を極めた東照宮を焼き立てるのも一興じゃ....
「慈悲心鳥」より 著者:岡本綺堂
った。見馴れない卵であるからその親鳥をきくと、それは慈悲心鳥であることが判った。
日光山の慈悲心鳥――それを今さら詳しく説明する必要もあるまい。磯貝は途方もない物....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
ズ、内ニ強キ心アル故数珠ノ形ノ如シ、故ニ弘法ノ数珠ノ変化ト云、和州芳野高野山野州
日光山殊ニ多シ、長サ三五尺ニシテ至テフトシ、雨中ニハ自ラ切テ落」と書いてある。こ....
「入れ札」より 著者:菊池寛
た。半白の頭を、テレ隠しに掻いていた。 そうしているうちに、半時ばかり経った。
日光山らしい方角に出た朝日が、もう余程さし登っていた。忠次は、黙々として、みんな....
「皇海山紀行」より 著者:木暮理太郎
ニシテ登路ナシ。樹木栂椴ヲ生ズ。山脈南方ニ施テハ下野国足尾山庚申山ニ連リ、東方ハ
日光山ニ連ル。 とあるので、サク山の座句山と同一山なることも、またそれが皇海山に....
「西瓜」より 著者:永井荷風
チの書中に記載せられている事を知るのである。ロッチが初て日本に来遊したのは、そが
日光山の記に、上野停車場を発した汽車が宇都宮までしか達していない事が記されている....