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日共
「日共〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
日共の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「支倉事件」より 著者:甲賀三郎
中で悶々遂に縊死を遂げたのが、大正十三年六月十九日で、即ちこの上願書提出の日と月
日共に一致する事である)上願書中には全然排斥して終う事の出来ない節があり、判事も....
「名人長二」より 著者:三遊亭円朝
懐いめぐらして欝ぎはじめましたから、兼松が側から種々と言い慰めて気を散じさせ、翌
日共に泉村の寺を尋ねました。寺は曹洞宗で、清谷山福泉寺と申して境内は手広でござい....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
年九月(利春四十五歳)、宰相公(長知)御昇進御祝につき、表舞台で同二十八日より三
日共翁附の御能を仰付られた。 同じく文久元年十月十五日に藩公から翁に御用召があ....
「幸福のために」より 著者:宮本百合子
、日本が民主の国柄となり、男も女も、笑って働いて、生きて行ける国になるために、今
日共産党が、真の民主主義を求めて、主権が君主にある制度に反対していることは近い将....
「油絵新技法」より 著者:小出楢重
をむけているもの、及び、なお自然そのものの前に忠実に立てるものの三種類の画家が今
日共存していると思う。 要するに現代人の想像力を極端にまで表現しようとするもの....
「辞典」より 著者:戸坂潤
. Plekhanov)が与えた唯物論の円熟した解明と適用とを忘れてはならぬ。今
日共産主義者乃至ボリシェヴィキによって展開されつつある弁証法的唯物論は、かくして....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
気でありました。その翌日の競馬はそれに弥増《いやま》した景気でありました。 両
日共に日は暮れるまで勝負が争われ、勝った者は馬も乗り手も揚々として村方へ帰り、負....
「擬体」より 著者:豊島与志雄
けるように言い出した。 「まだ確かな証拠はないが、僕の眼に狂いがなければ、あれは
日共の党員だ。少くとも党の同調者だ。そしてここで、何等かの情報を得ようとしている....
「安吾人生案内」より 著者:坂口安吾
袋を手がかりに、同月廿五日容疑者として住所不定小林三郎(三八)を検挙、続いて廿八
日共犯として住所不定大内末吉(三四)を逮捕した。二人は警察、検察庁の調べに対して....
「望郷」より 著者:服部之総
えばここでこんどの選挙のことを顧みてみよう。共産党で落選した旭川の五十嵐久弥君(
日共上川委員長、日農道連委員長)からきいたところでは、彼が立った第二区の得票数は....
「越年」より 著者:岡本かの子
。明子が後から追いついて 「もっとやっつけてやればよかったのに」 と、自分の毎
日共に苦労した分までも撲って貰いたかった不満を交ぜて残念がった。 「でも、私、お....
「イエスキリストの友誼」より 著者:新渡戸稲造
はないがただ船中の様は昔に変る未見の船頭、懐かしい二人の友が見えぬ。ああ過ぎつる
日共に楽しく語り笑いし友、永久|相見《あいまみえ》るの機《しお》がないと思うと淋....