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日新
「日新〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
日新の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「白」より 著者:芥川竜之介
《かた》があれば、どうか下《しも》に引用した新聞の記事を読んで下さい。
東京日
日新聞。昨十八日(五月)午前八時|四十分《しじっぷん》、奥羽線上《おううせんのぼ....
「葬儀記」より 著者:芥川竜之介
をやってくれる。向こうは、和辻さん、赤木君、久米という顔ぶれである。そのほか、朝
日新聞社の人が、一人ずつ両方へ手伝いに来てくれた。
やがて、霊柩車《れいきゅう....
「片信」より 著者:有島武郎
村氏に対しては格別答弁はしなかったが、広津氏に対してはすぐに答えておいた(東京朝
日新聞)。その後になって現われた批評には堺利彦氏と片山伸氏とのがある。また三上於....
「性急な思想」より 著者:石川啄木
た多くの人々の心を、著るしく性急《せっかち》にした。意地の悪い言い方をすれば、今
日新聞や雑誌の上でよく見受ける「近代的」という言葉の意味は、「性急《せっかち》な....
「時代閉塞の現状」より 著者:石川啄木
一 数日前本欄(東京朝
日新聞の文芸欄)に出た「自己主張の思想としての自然主義」と題する魚住氏の論文は、....
「生まれいずる悩み」より 著者:有島武郎
、永久の春がほほえめよかし‥‥僕はただそう心から祈る。 (一九一八年四月、大阪毎
日新聞に一部所載)....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
、その資材を利用して少数間を有する地下室をつくれというのである。投書の形にして毎
日新聞文化部の久住氏へ送る。(なおこの際思いきって生活の簡素化をはかれとも記した....
「明治十年前後」より 著者:淡島寒月
芸を復活させようとつとめた。 そのうち、かの『雪中梅』の作者|末広鉄腸が、『朝
日新聞』に書いた。また服部誠一翁がいろいろなものを書いた。寛(総生)は寛でさまざ....
「甲州郡内妖怪事件取り調べ報告」より 著者:井上円了
に示す意は、識者の判定を請わんと欲するにほかならざるなり。(完) 出典 『東京朝
日新聞』第二八三四、二八三五、二八三七、二八三八号、明治二七(一八九四)年五月八日、九日、一一日、一二日、二面。....
「三十年前の島田沼南」より 著者:内田魯庵
るんだろう、」というと、 「アレは沼南の癖だよ、」といった。「ツイこの頃も社(毎
日新聞社)で沼南が、何かの話のついでに僕はマダ抱え俥を置いた事がない、イツデモ辻....
「二葉亭四迷」より 著者:内田魯庵
」と一度も言わなかったは、二葉亭は日本の政治家にも実業家にも慊らなかったのだ。朝
日新聞記者として永眠して死後なお朝
日新聞社の好意に浴しているが、「新聞記者はイヤ....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
養した。三十七年の春、日露戦争が初まると間もなく三月の初め内藤湖南の紹介で大阪朝
日新聞社に入社し、東京出張員として東露及び満州に関する調査と、露国新聞の最近情報....
「西航日録」より 著者:井上円了
前十時、三人相携えて上陸。余は領事館および三井物産会社支店を訪い、馬場氏に面し、
日新館にて河合、甲賀両氏と手を分かち、印度支那汽船会社の便船瑞生号(Suisan....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
二日(日曜)、快晴。ただし風寒きこと前日のごとし。午後一時、神戸に入港す。大阪毎
日新聞記者藤枝範氏来訪あり。楠公社内に県下の共進会ありというを聞きたれども、上陸....
「魯迅さん」より 著者:内山完造
ですというと、三拝九拝の礼をしてから話を繰返した。すると魯迅さんは、その正月に朝
日新聞に「上海雑感」というのを書いて、それの原稿料がちょうど百円届いて、ぼくが現....