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日朝
「日朝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
日朝の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或る女」より 著者:有島武郎
近にある或《あ》る小ぎれいな旅館を兼ねた料理屋で中食《ちゅうじき》をしたためた。
日朝《にっちょう》様ともどんぶく様ともいう寺の屋根が庭先に見えて、そこから眼病の....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
ると、もうあんな学校や教頭なんか用は無いんだから、そうすると、主税さんの許へ、毎
日朝から行って、教頭なんかに見せつけてやるのにねえ。口惜しいわ、攫徒の仲間だの、....
「生まれいずる悩み」より 著者:有島武郎
少しの間息をつく暇を見いだすのだ。冬の間から一心にねらっていたこの暇に、君はある
日朝からふいと家を出る。もちろんふところの中には手慣れたスケッチ帳と一本の鉛筆と....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
は安全だったが、すさまじい跡が見えたと、養母が帰って来ての話。 四月七日 ◯本
日朝七時四十分に警報。「敵大編隊来襲、八時二十分頃本土着のヨテイ」と。 すぐ警....
「火星探険」より 著者:海野十三
え、おどろいたね。それはほんとうかい」 「ほんとうだとも」 「でも、稼ぐために毎
日朝から晩まで稼がなければならないとすると、いつになったらコロラド大峡谷へ行き着....
「旅なかま」より 著者:アンデルセンハンス・クリスチャン
おとうさんはいい人でしたから、ひとにもずいぶん好かれていました。 さて、あくる
日朝はやく、ヨハンネスは、わずかなものを包にまとめ、のこった財産の五十ターレルと....
「ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
く簡単な器械で重大な結果を得るということを努めたので、実験家だからというても、毎
日朝から夜まで実験室に入り浸りで、手まかせに実験をしたいるので、この間によく考え....
「あゝ二十年」より 著者:上村松園
ら、画室内は清浄を保つことができます。 こうして私は、外の俗塵とは絶縁して、毎
日朝から夕景まで、専心専念、御下命画の筆を執りました。画室内には一ぴきの蝿も蚊も....
「画道と女性」より 著者:上村松園
を眺めている図、そう腹案を作ってちょうどその頃咲きかけた萩の花を写そうと、私は連
日朝から高台寺に通い出したのでした。 薄鴇色の下着の模様をほのかに透かす、黒地....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
がい事務多忙、寺に詣する間隙を得ること難ければなり。 国教宗の寺院はたいてい毎
日朝夕二回礼拝を行うも、平日は読経のみにて説教なし。説教あるは日曜朝夕とその他の....
「西航日録」より 著者:井上円了
江山を照らさずしてわが心を照らす)とうそぶけり。十八日滞泊、十九日正午出帆、二十
日朝門司着。哲学館出身者泉含章氏、小艇をもって出でて迎うるあり。余これに移りて馬....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
パライソ港内に入る。 以下、「南米西部紀行」に譲る。 明治四十四年十月二十八
日朝、チリ国バルパライソ港に入津するや、千田平助氏、特に船中に来たりて余を迎えら....
「押しかけ女房」より 著者:伊藤永之介
手にただ一人の働き手の佐太郎を、田圃からひツこぬいて掠つて行つた戦争を呪つた。毎
日朝から晩まで、来春から田圃をどうするかと歎き暮した。 春野も近づいて、源治は....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
二】 柴大人が職を去って日本へ帰る日はいやはや大変な事でした。柴公館には、その
日朝暗いうちから人がわんさと押しかけて皆餞別の贈り物をしました。その多くは貧民や....
「魯迅さん」より 著者:内山完造
チなんです。 魯迅さんの遺骸は十九日の午後、膠州路の万国殯儀館にうつされて二十
日朝から二十二日出棺まで告別の行列がつづいた。しかし政府の役人とか自動車で来るよ....