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「日本外史〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

日本外史の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
非凡なる凡人」より 著者:国木田独歩
、心はなお書籍の中にあるらしい。 「おもしろいかね?」 「ウン、おもしろい」 「日本外史《にほんがいし》とどっちがおもしろい」と僕が問うや、桂は微笑《わらい》を....
後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
かった。彼は彼の在世中とてもこのことのできないことを知っていたから、自身の志を『日本外史』に述べた。そこで日本の歴史を述ぶるに当っても特別に王室を保護するように....
藁草履」より 著者:島崎藤村
許《とこ》へ行って、一緒に小屋の内で本でも読みやれ」 「へへへへ、明日は日曜だ。日本外史でも読まずかと思って」 「先生は何方《どちら》ですい」と源は尋ねて見まし....
追憶」より 著者:芥川竜之介
TやDの発音を覚えたくらいである。それでも僕は夜になると、ナショナル・リイダアや日本外史をかかえ、せっせと相生町二丁目の「お師匠さん」の家へ通って行った。It ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
ないことでもない。水戸の『大日本史』に、尾張の『類聚日本紀』に、あるいは頼氏の『日本外史』に、大義名分を正そうとした人たちのまいた種が深くもこの国の人々の心にき....
石狩川」より 著者:本庄陸男
られた。素読をおえて外に出た少年らは、池の周囲を走りまわった。椿の花の下で山陽の日本外史に読み耽《ふけ》り、胸をときめかした。城内第一の美しくつくられた庭園であ....
惜別」より 著者:太宰治
。維新は、水戸義公の大日本史|編纂をはじめ、契沖、春満、真淵、宣長、篤胤、または日本外史の山陽など、一群の著述家の精神的な啓蒙によって口火を切られたのです。Ma....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
としていた。 前にもいった武知先生の塾へも相変らず手習に行ったが、傍ら蒙求とか日本外史とかいうものを自ら読んでは、分らぬ所を先生に質《ただ》す事もした。読書力....
妾の半生涯」より 著者:福田英子
は、県令学務委員等の臨《のぞ》める試験場にて、特に撰抜せられて『十八史略』や、『日本外史』の講義をなし、これを無上の光栄と喜びつつ、世に妾ほど怜悧なる者はあるま....
三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
弁を心掛けようと努めたのであった。 私が開成中学校に入学して、その時の漢文は『日本外史』であったから、当てられると私は苦もなく読んで除ける。『日本外史』などは....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
た。私は私の勉強にどこかしんの抜けてるような不安な感じがした。私が義兄にねだって日本外史を習い初めたのはそのためであった。私は毎日学校から帰ると、それを習うのが....
南国太平記」より 著者:直木三十五
い庭へ出て、草の頭をむしってみたり、縁側へ寝転んで、美少年の噂をしたり、懐から、日本外史を出して読んだり、それから、七八人の人々は、見取図を書いて、何う襲撃した....
読書遍歴」より 著者:三木清
それは歴史であった。中にも山路愛山の史伝類をよく読んだが、特に『常山紀談』とか『日本外史』とかを愛読した。その頃は漢文も私としては得意とするものであったが、経書....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
いって、お隣の家へ漢学を習いに来るのでしたから、いわば私と同門のわけです。私は『日本外史』などを習っていました。 小母さんはまたこんな話もしました。 「娼妓が....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
文化は流罪人から非常な影響を受けたことは事実で、父も流人の漢学の素養のある人から日本外史、十八史略などを教えられたそうだ。私は母とともに十三歳までこの三宅島で暮....