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日本後紀
「日本後紀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
日本後紀の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
》かず」と言うて、固く山門を閉じ、病なくして卒したということである。この事は「続
日本後紀《しょくにほんこうき》」の巻十六に見えておる。 五 ディオクレス、自....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
御歌である。湯原王の事は審でないが、志貴皇子の第二子で光仁天皇の御兄弟であろう。
日本後紀に、「延暦廿四年十一月(中略)壱志濃王薨、田原天皇之孫、湯原親王之第二子....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
「サムライ」の起原と見るべき帳内・資人として、多く使役せられたりしがごとし。『続
日本後紀』承和六年九月の条に、 制す。選叙令に帳内・資人は並に八年を以て限りと....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
安朝において夷俘の長と指定されたものは、その国の夷俘中の人望あるものであった。『
日本後紀』弘仁三年六月二日条に、その同類のうち心性事を了し、衆の推服するところの....
「道鏡皇胤論について」より 著者:喜田貞吉
、一つの謀計の現われではなかろうかとの疑いが無いでもない。 (註二) 続日本紀、
日本後紀など、勅撰の国史以外の道鏡の事を書いた古い記録には、大抵彼を天智天皇の皇....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
に料物を給して、島田及び鴨河原等の髑髏総べて五千五百余頭を焼かしむ」との事が「続
日本後紀」に見えている。この島田すなわち後々所謂島(小島)の地であろう。鴨河原と....