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日本橋
「日本橋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
日本橋の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大導寺信輔の半生」より 著者:芥川竜之介
綺麗《こぎれい》な商店の軒を並べた、江戸伝来の下町も何か彼を圧迫した。彼は本郷や
日本橋よりも寧《むし》ろ寂しい本所を――回向院を、駒止《こまど》め橋《ばし》を、....
「ひょっとこ」より 著者:芥川竜之介
× × ×
山村平吉はおやじの代から、
日本橋の若松町にいる絵具屋である。死んだのは四十五で、後には痩せた、雀斑《そばか....
「或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
》も示さなかった。が、年若な求馬の心は、編笠に憔《やつ》れた顔を隠して、秋晴れの
日本橋《にほんばし》を渡る時でも、結局彼等の敵打《かたきうち》は徒労に終ってしま....
「片恋」より 著者:芥川竜之介
がするだろう。そう思って、声をかけようとしたが、遠慮した。――お徳の事だ。前には
日本橋に居りましたくらいな事は、云っていないものじゃない。
すると、向うから声....
「魚河岸」より 著者:芥川竜之介
あぶなかった。我々は露柴を中にしながら、腥《なまぐさ》い月明りの吹かれる通りを、
日本橋《にほんばし》の方へ歩いて行った。
露柴は生《き》っ粋《すい》の江戸《え....
「妖婆」より 著者:芥川竜之介
ライの寺の鐘が、真夜中に突然鳴り出したり、同じ番号の電車が二台、前後して日の暮の
日本橋を通りすぎたり、人っこ一人いない国技館の中で、毎晩のように大勢の喝采《かっ....
「或る女」より 著者:有島武郎
が勝手だったから。
それは恋によろしい若葉の六月のある夕方《ゆうがた》だった。
日本橋《にほんばし》の釘店《くぎだな》にある葉子の家には七八人の若い従軍記者がま....
「或る女」より 著者:有島武郎
は愛子が荷物の一部分を持って乗っていた。須田町《すだちょう》に出た時、愛子の車は
日本橋の通りをまっすぐに一足《ひとあし》先に病院に行かして、葉子は外濠《そとぼり....
「亡び行く江戸趣味」より 著者:淡島寒月
ので、それでもまたミケンジャクや烏万燈等と共に賞美され、私たちの子供の時分には、
日本橋横山町二丁目の鍵屋という花火屋へせっせと買いに通ったものである。 ....
「凧の話」より 著者:淡島寒月
ると、十四、五枚のものもあったが、それらは大人が揚げたものであった。 私のいた
日本橋|馬喰町の近くには、秩父屋という名高い凧屋があって、浅草の観音の市の日から....
「歯車」より 著者:芥川竜之介
思い出し、展覧室へ通りぬけずに幅の広い階段を下って行った。 僕はもう夜になった
日本橋通りを歩きながら、屠竜と云う言葉を考えつづけた。それは又僕の持っている硯の....
「夏目先生と滝田さん」より 著者:芥川竜之介
。書画骨董を買うことが熱心で、滝田さん自身話されたことですが、何も買う気がなくて
日本橋の中通りをぶらついていた時、埴輪などを見附けて一時間とたたない中に千円か千....
「まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
護衛する。また文化同盟の事務所には、学生が合宿して用意を整えて対峙する。私も当時
日本橋におったが、いつ押しかけて来るか分らないので、何時も用意して対峙すると云っ....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
昭和十二年の林内閣食逃げ解散後の選挙には、第四区(本所、深川)から第三区(京橋、
日本橋、浅草)に移れという。私にとって第三区ははじめての選挙区ではあり、相手には....
「本所両国」より 著者:芥川竜之介
に疲れた生活上の落伍者が比較的多勢住んでいた町である。従って何処を歩いて見ても、
日本橋や京橋のように大商店の並んだ往来などはなかった。若しその中に少しでもにぎや....