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日本紀
「日本紀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
日本紀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「辞書」より 著者:折口信夫
本には右の欲求があった。 倭名鈔のできたのが、日本の辞書のできはじめではない。
日本紀にその名のみえている『新字』も辞書だとすれば、天武天皇の時代で、とび抜けて....
「水の女」より 著者:折口信夫
瓊入媛と曰ひ、第五を竹野媛と曰ふ。(垂仁紀) この後が、古事記では、弟王二柱、
日本紀では、竹野媛が、国に戻される道で、一人は恥じて峻淵に(紀では自堕輿とある)....
「最古日本の女性生活の根柢」より 著者:折口信夫
られていた律文が、最初の形であった。これを散文化して、文字に記したのが、古事記・
日本紀その他の書物に残る古代史なのである。だから成立の始めから、宗教に関係してい....
「嫉みの話」より 著者:折口信夫
く持続することは、迷惑だと考えることが根本にある。それにはまた、他の理由がある。
日本紀には、「ことさかのめやつこ」という語が出ている。夫に対して自分が妻であるこ....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
、奈良朝ころの人士は、早くすでにその事実を忘却したり。当時の著作なる『古事記』『
日本紀』等には、景行天皇朝に日本武尊の経略し給える蝦夷の日高見国をも、当時の蝦夷....
「「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
知られて、山海経に毛民国の名があり、唐人は正に「毛人」の二字を以てこれを表わし、
日本紀以下我が国でも往々この文字を採用し、その勇猛純樸であることから、奈良朝前後....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
続
日本紀に、文武天皇四年飛鳥元興寺の僧道照和尚遷化してその屍を焼いたのが、我が国火....
「くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
いて説をなせるもの、喜多村信節の画証録(天保十年)に、 久々都の名義を考ふるに、
日本紀に木祖久久能智とある久々は茎にて、草木の幹をいふ。智は男を尊む称なり。智と....
「国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
たらしい。応神天皇の十九年に吉野離宮に行幸のあった時、彼ら来朝して醴酒を献じた。
日本紀には正に「来朝」という文字を使っている。彼らは人となり淳朴で、常に山菓を取....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
邪馬台国を以て、我が大和朝廷そのものであると解せんとするものもまた少くない。古く
日本紀の編纂者の如きも、おそらくこの誤りに陥り、かの有名なる邪馬台国の女王卑弥呼....
「手長と足長」より 著者:喜田貞吉
・長髄明神などというところに、或る理由がなければならぬ。 手長、足長については
日本紀に面白い解釈がある。神武天皇が葛城の土蜘蛛を誅し給う条に、「土蜘蛛の人と為....
「道鏡皇胤論について」より 著者:喜田貞吉
成されずに中止されてしまったのであった。けだし当時田口博士は道鏡の素性に関する続
日本紀の文に、河内の弓削氏の人であるという事、彼の先祖に大臣があったという事など....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
ない。何となれば、三国氏が聖武天皇の後だとは、一向古書の記事に合わぬところで、「
日本紀」には、継体天皇の皇子|椀子皇子は三国公の先なりとあり、「新撰姓氏録」に三....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
相対して、いわゆる良賤の間に、判然たる区別の存在が示されているのである。そして「
日本紀」には、「良男」をオオミタカラオノコ、「良女」をオオミタカラメノコ、「良人....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
じた修行者の名で、尊敬すべき称号である。 わが国で古く法師の語のみえるのは、『
日本紀』武烈天皇七年条の法師君をもって始めとする。これは百済斯我君の子で、子孫が....