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「日蓮宗〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

日蓮宗の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
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半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
門とか瀬川菊之丞とかいったような名優の墓がたくさんありました。その隣りの最教寺は日蓮宗で、ここの宝物には蒙古退治の曼荼羅《まんだら》があるというので有名でした。....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
た」 手桶に水と樒とを入れて、半七は墓場へ行った。墓は先祖代々の小さい石塔で、日蓮宗の歌女代は火葬でここに埋められているのであった。隣りの古い墓とのあいだには....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
朝に、私たちは目白の額田六福方を立ち退いて、麻布|宮村町へ引き移ることになった。日蓮宗の寺の門前で、玄関が三畳、茶の間が六畳、座敷六畳、書斎が四畳半、女中部屋が....
勧善懲悪」より 著者:織田作之助
る浴客を掴まえては、世間話、その話の序でには、どこそこでよく効く灸をやっている、日蓮宗の施灸奉仕で、ありがたいことだ、げんにわたしもいま先……と、灸の話が出るこ....
瓜の涙」より 著者:泉鏡花
がら、貧しい場末の町端から、山裾の浅い谿に、小流の畝々と、次第|高に、何ヶ寺も皆日蓮宗の寺が続いて、天満宮、清正公、弁財天、鬼子母神、七面大明神、妙見宮、寺々に....
河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
いたし、またこれよりは滝谷の妙成寺へ、参詣をいたすもの、見受け申せば、我等と同じ日蓮宗の御様子なり。戸のお札をさえ見掛けての御難題、坊主に茶一つ恵み給うも功徳な....
十番雑記」より 著者:岡本綺堂
雨ふる朝に、わたしたちは目白の額田方を立退いて、麻布宮村町へ引移ることになった。日蓮宗の寺の門前で、玄関が三畳、茶の間が六畳、座敷が六畳、書斎が四畳半、女中部屋....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
井の蟠龍の図である。円福寺というは紅葉の旧棲たる横寺町の、本との芸術座の直ぐ傍の日蓮宗の寺である。この寺の先々住の日照というが椿岳の岳母榎本氏の出であったので、....
白峰の麓」より 著者:大下藤次郎
と、カッカはバンバになるぞ」という。 話はそれからそれへと移る。平林の村は殆ど日蓮宗であること、自分たちは冬になると平林へ帰ること、池の傍だけに寒さの強いとい....
欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
なり。仏教の諸宗各主義を異にすというも、浄土宗と真宗はその本経一つなり、天台宗と日蓮宗はその本経一つなり。しかれども、もし両教を較するときは、仏教の方、別主義の....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
るいは禅により胆を練り、あるいは浄土宗、浄土真宗により心身を仏に委託し、あるいは日蓮宗により宇宙の生命力を唱題によって心身に享け容れた人たちでありました。中には....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
日蓮宗の宗祖日蓮聖人はエタの子なりという説がある。いわゆる特殊部落の人々の書いた....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
い。そこで東海道筋から、関東、信州辺りには、徳川時代にエタと云われた人々の中に、日蓮宗を奉じているものが少くない。 最後に出て特殊民を済度した念仏の行者は、時....
早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
ごちゃしている間にはさまり、更にまた朝夕とう/\とお題目の音の絶えない何とかいう日蓮宗のお寺があり、田川というかなり大きな草花屋があるといった風である。そして公....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
た時、僕の恋愛を感じたものは浦里よりもむしろ禿だった。)この寺は――慈眼寺という日蓮宗の寺は、震災よりも何年か前に染井の墓地のあたりに移転している。かれ等の墓も....