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日録
「日録〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
日録の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
石など俗称し、稀に馬糞中に見出す物で予も数個持ち居る。『松屋筆記』に引ける『蓬※
日録』に、〈およそ兵事を達するには、急に能く風雨を致し、囲を突きて走り、けだし赭....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
の孝子に授けた由を作ってより、猩々は日本で無性に目出たがられ、桜井秀君は『蔭涼軒
日録《いんりょうけんにちろく》』に、延徳三年泉堺の富家へ猩々に化けて入り込み財宝....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
主婦が亭主を尻に敷き続け得と信じたのだ。本邦にも牝鶏の晨するを不吉とした。『碧山
日録』に、長禄三年六月二十三日|癸卯《みずのとう》、天下飛語あり、諸州の兵|窃《....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
のである。しかしてその公家の数も明応二年のころ総計六十七家のみであったと『蔭涼軒
日録』の六月五日の条に見えているによって考えると、それら公家衆が総出で行なう儀式....
「サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
らぬ。ここに燕丹とはエタの事である。この説は既に室町時代に行われたもので、蔭涼軒
日録(長享二年八月十一日及び卅一日条)にもその事が見えている。燕丹のこともとより....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
りほかはないが、そんな手数をかけるがものはあるまい。近頃見た本では文禄頃の『鹿苑
日録』の中にはあった。京都では大抵あの頃くらいが始めで、地方はもっと後と見ておい....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
ぬ伝承などは、今一度この方面から仔細に考察して見る必要があるように思う。 共古
日録巻六に依れば、群馬県|北甘楽地方では、十月十日をトオカンヤといい、この夜は子....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
は禁中に近かったので、「御近所の声聞師」ともいっていた。 『山城名勝志』引「季瓊
日録」(寛正五年)によれば、六月十四日の祇園の祭礼に、北畠から跳戈を出し、歌舞し....
「放免考」より 著者:喜田貞吉
師と呼び、毎年正月十八日の三毬打に際し、禁裏に参上したものであった。また「蔭涼軒
日録」長禄二年十一月二十二日条に、相国寺領北畠・柳原の散所の事が見えている。この....