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「日露〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

日露の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
将軍」より 著者:芥川竜之介
た。……」 少将はほとんど、感傷的に、将軍の逸話《いつわ》を話し出した。それは日露戦役後、少将が那須野《なすの》の別荘に、将軍を訪れた時の事だった。その日別荘....
或る女」より 著者:有島武郎
に対していろいろな注文を提出した論文が掲げられて、海外通信にはシナ領土内における日露《にちろ》の経済的関係を説いたチリコフ伯の演説の梗概《こうがい》などが見えて....
初めて見たる小樽」より 著者:石川啄木
ば満足なのである。世界貿易の中心点が太平洋に移ってきて、かつて戈《ほこ》を交えた日露両国の商業的関係が、日本海を斜めに小樽対ウラジオの一線上に集注し来らむとする....
時代閉塞の現状」より 著者:石川啄木
っそう明瞭である。自然主義と称《とな》えらるる自己否定的の傾向は、誰も知るごとく日露戦争以後において初めて徐々に起ってきたものであるにかかわらず、一方はそれより....
追憶」より 著者:芥川竜之介
の留守の間に「動員令発せらる」という号外が家にも来ていたからだった。僕はもちろん日露戦役に関するいろいろの小事件を記憶している。が、この一対の高張り提灯ほど鮮か....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
武力を御用い遊ばされ、「よもの海みなはらから」と仰せられた明治天皇は、遂に日清、日露の大戦を御決行遊ばされたのである。釈尊が、正法を護ることは単なる理論の争いで....
「吶喊」原序」より 著者:井上紅梅
、時間がなおありあまる時には、風景画や時事の写真を挿込んで学生に見せた。ちょうど日露戦争の頃でもあるから、自然戦争に関する画面が多かった。わたしは講堂の中で、同....
私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
ていた。 天幕のすきまからはいつてくる風にあおられて波のようにうねる映写幕には日露戦争の実況(?)が写つていた。 我々は観客席(といつてもそこは材木と布でし....
税所敦子孝養図」より 著者:上村松園
日露戦争が終ってから間もなくのことであった。 わたくしのあと継ぎの松篁が行って....
明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
ように思う。第一期は明治の初年から明治二十三年までとし、第二期は明治二十三年から日露戦争の終りまで、すなわち明治三十八年までとすることにしよう。それから明治三十....
おばけずきのいわれ少々と処女作」より 著者:泉鏡花
争の始まろうという際に成ったのであるが、当時における文士生活の困難を思うにつけ、日露開戦の当初にもまたあるいは同じ困難に陥りはせぬかという危惧からして、当時の事....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
、アルゼンチン国およびチリ国にては、シナ人自ら日本人と偽称しおるもの多き由。これ日露戦役後、日本の国名が南米の天地を風靡せる結果なり。 チリ風俗の外人の目に映....
私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
息えんえんの有様である。ちょうど明治三十七年、日本がロシアに宣戦を布告した年で、日露戦争の歌が町に流れる戦時気分のみなぎった時代であった。 しかし住みなれた大....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
の軍閥戦争等。 ※ 軍隊の運動力に比し戦場の広きこと。 ナポレオンの露国役、日露戦争、支那事変等。 ※ 攻撃威力が当時の防禦線を突破し得ざること。 欧州....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
られていた。…… 両国橋の袂にある表忠碑も昔に変らなかった。表忠碑を書いたのは日露役の陸軍総司令官大山巌公爵である。日露役のはじまったのは僕の中学へはいり立て....