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「日高〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

日高の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
両国の秋」より 著者:岡本綺堂
て、舞台で蛇を使うことがある。自分が丁度その姿で男を追い掛けてゆくと、両国の川が日高川《ひだかがわ》になって、自分が蛇になって泳いでゆく。そんな姿がまぼろしのよ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
たもので、江戸じゅうに絵馬専門の絵馬屋という商売が幾軒もありまして、浅草|茅町の日高屋なぞは最も旧家として知られていました。これからお話をいたすのは、四谷|塩町....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
上空を飛んだ。今までにないことである。しかも両回とも同じコースを通った。 この日高射砲を盛んに射ったが、多くは後過ぎて駄目。たいへん冷える夜だった。敵機が照空....
わが町」より 著者:織田作之助
肩身の狭い想いをし、鎧の下を汗が走った。 そんな気性ゆえ、種吉は年中貧乏し、毎日高利貸が出はいりした。百円借りて、三十日借りの利息天引きで、六十円しかはいらず....
死者の書」より 著者:折口信夫
心へ、沁み沁みと深く、魂を育てる智慧の這入って行くのを、覚えたのである。 大日本日高見の国。国々に伝わるありとある歌諺、又其|旧辞。第一には、中臣の氏の神語り。....
北斗帖」より 著者:違星北斗
ひら/\と散った一葉に冷めたい 秋が生きてたコタンの夕 桂木の葉のない梢天を衝き日高の山に冬は迫れる 楽んで家に帰れば淋しさが 漲って居る貧乏な為だ めっきりと....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
時の著作なる『古事記』『日本紀』等には、景行天皇朝に日本武尊の経略し給える蝦夷の日高見国をも、当時の蝦夷蟠居の域なる北上川下流地方に擬定せるなり(拙著『読史百話....
妖怪報告」より 著者:井上円了
掲載すべし。この報知の余が手もとに達したるは明治二十年十二月のことにして、北海道日高国、某氏の実際に経験せる事実なり。書中に記するところを見るに、同年十一月十九....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
のは、三十年の三月、神田三崎町に東京座が出来たときで、その舞台びらきの二番目に「日高川」が出て、福助の清姫に対して彼は真那古庄司と船頭とを勤めていた。「日高川」....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
まして、蝦夷という変った民族の住んでいたことを復命致しております。その蝦夷の国を日高見の国と申し、今の北上川流域地方に当るものの如く考えられておりました。北上川....
オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
史料編纂官たる鷲尾順敬博士も、博士の仏教的見地から採訪せられたる資料について、不日高見を寄せらるべく承諾せられた。願わくば各地の同好者諸君、この機会をもって続々....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
涼蕭颯の趣ありて、太古の海山に接するの思いあり。その壮快実に極まりなし。ときに夕日高く北天に懸かり、多少の雲煙を帯ぶ。同行とともにシャンパンを傾け、万歳を呼びて....
大力物語」より 著者:菊池寛
と蘇生させた。 その頃、東国から大番(京都守衛の役)のために上京する武士達が、日高い頃に、かいづに泊った。そして、乗って来た馬どもの脚を、湖水で冷していた。す....
特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
あったが、今では五十戸にも上っているという。紀州の森彦太郎君の報告によると、同国日高郡高家川部落は、享和四年に同郡下志賀部落より三戸の移住者が開いたもので、今で....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
事。 同国 同郡官省符庄浄土寺村の産所。巫村だと、これも『賤者考』の記事。 同国日高郡茨木村の中にも産所(同上) 淡路 三原郡市村大字三条。産所村と『音曲道智編....