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昆陽
「昆陽〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
昆陽の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
者の功績はとかく忘却され易いのも、世の習いであろう。それはいわゆる甘藷先生の青木
昆陽の墓である。もっとも、境内の丘上と丘下に二つの碑が建てられていて、その一は明....
「生死卍巴」より 著者:国枝史郎
かけたのであった。 「わしの運命を買えというのか、面白いことを申す女だ」 青木
昆陽の門下であって、三年あまり長崎へ行って、蘭人について蘭学を学んだ二十五歳の若....
「外米と農民」より 著者:黒島伝治
りでなく、畑の作物も──どんな飢饉の年にも旱魃にもこれだけは大丈夫と云われる青木
昆陽の甘藷までがほとんど駄目だった。村役場から配布される自治案内に、七分搗米に麦....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
コウジバナ、ツヅミグサ、ネバリモチ、モチグサの沢山な名が挙げられてある。 青木
昆陽《あおきこんよう》(甘藷先生といわれる学者)の『
昆陽漫録《こんようまんろく》....
「慶応義塾の記」より 著者:福沢諭吉
人、横行《おうこう》の文字を読み習うるの始めなり。 その後、宝暦明和の頃、青木
昆陽、命を奉じてその学を首唱し、また前野蘭化、桂川|甫周《ほしゅう》、杉田|※斎....
「目黒の寺」より 著者:岡本綺堂
学者の功績はとかく忘却され易いのも、世の習であろう。それはいわゆる甘藷先生の青木
昆陽の墓である。もっとも境内の丘上と丘下に二つの碑が建てられていて、その一は明治....
「狐」より 著者:岡本かの子
しとるのか。佗しそうだな。 ――割合いに楽しいのだ。 ――当時和漢洋の学者、青木
昆陽先生の高弟で、天文暦法の実測にかけては、西川正休、武部彦四郎も及ばんという貴....
「こがらし」より 著者:岩本素白
に随いて行って見ようとする者がなかった。 私は其の時から遥か年を経て、津の国の
昆陽寺から黄金の交って居る釣鐘を盗み出す群盗の話を読んだ。話は昔の中国の偸盗説話....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
だ。違いといえばただ、警固の軍兵が多かったことである。 ――先帝は今日、津の国、
昆陽の宿に着かせ給ひて、夕月夜ほのかにをかしきを、ながめおはします。 命あれば....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
尊氏は、正成宛ての懇ろな書簡を書いて、それを兵の肌に持たせ、わざと捕まるように、
昆陽野方面の敵中へ放したのだ。伊丹には義貞の弟義助が陣している。義貞は疑いぶかい....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
宵の頃だった。 かねて情報集めに放っておいた、八木弥太郎|法達の部下が、摂津の
昆陽野(伊丹)から馬をとばして来て、 「新田どのの軍勢は、白旗城のかこみを捨て、....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
に、謹んで黙拝していた。 いつか黄昏れかけている。蜩の声が高い。 「お菊さん。
昆陽寺の坊んさんが来ていますよ。こちらへ通しますかね」 細工場の職人が夕顔の垣....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
皆さんと一しょに考えて見ようと思います。その中で早くから知られていたのは、摂津の
昆陽池の片目鮒で、これは行基菩薩という奈良朝時代の名僧と関係があり、話は少しばか....