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「昌平〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

昌平の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
老中の眼鏡」より 著者:佐々木味津三
浪土取締りの隊士達が見送っているのを、対馬守の足どりは実に静かだった。聖堂裏から昌平橋を渡って、筋違御門を抜けた土手沿いに、求める屋台の灯がまた六つ見えた。闇に....
菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
度にかゝり、小清潔した紋付の着物が無ければなりません、紋が少し異っていても宜い、昌平に描かせても直に出来るだろうが、今日一日のことだからと有助を駈けさせて買いに....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
同郷の人が経営しているというだけでもその宿屋は心やすく思われたからで。ちょうど、昌平橋から両国までは船で行かれることを教えてくれる人もあって、三人とも柳の樹の続....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
、士分に取り立てられて、間もなく函館奉行の組頭でさ。今じゃ江戸へお帰りになって、昌平校の頭取から御目付(監察)に出世なすった。外交|掛りを勤めておいでですが、あ....
梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
ているところへ古賀得四郎氏の友人、春吉の医師松田盛氏の紹介で糸島出身の彫塑家津上昌平氏がこの評議に参加した。 津上氏は帝展に数回特選され、数多の名士の銅像を作....
怪談牡丹灯籠」より 著者:三遊亭円朝
らばお供をいたしましょう」 と弁当の用意を致し、酒を吸筒へ詰込みまして、神田の昌平橋の船宿から漁夫を雇い乗出しましたれど、新三郎は釣はしたくはないが、唯飯島の....
死体の匂い」より 著者:田中貢太郎
らまだ煙が出ていて危険なうえに、兵士が橋の袂に針金を張って通行を遮断しているので昌平橋の方へと往った。 路の左側の女子高等師範の建物も、聖堂も、教育博物館の建....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
もなり、また修史館が出来た時にはその編輯官ともなった。号を海南といい、最初幕府の昌平塾の塾頭もして世間の人にも知られていた。文章が得意であったが実務に当る見識や....
円朝の牡丹灯籠」より 著者:田中貢太郎
来て釣に誘うので、せめて外からでも飯島の別荘の容子を見ようと思って、其の朝|神田昌平橋の船宿から漁師を雇って来たところであった。 新三郎は其のうちに酔って眠っ....
群集」より 著者:豊島与志雄
で懇願しているらしかった。巡査は手を振って大きい声で云った。 「いかん、いかん、昌平橋の方から廻れ!」 男はすごすごと退いた。皆それを黙って見ていた。 暫く....
性格を求む」より 著者:豊島与志雄
い。そして試みに只今手許にある雑誌を披いてみる。――藤沢桓夫氏の「少年」のなかの昌平はどうであるか。社会運動に憧れて、小杉次郎を訪れたり岡崎先生の前で興奮したり....
私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
尊心がないためである。換言すれば客の教育が出来ていないためである。 震災直後、昌平橋際に昌平橋食堂というのが出来た。一日私はここへ昼飯を食べに行ったことがある....
塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
が減って歩けません、其の内に雨がポツリ/\と降ってまいりますから、駿河台を下りて昌平橋へ掛りました。此の昌平橋は只今は御成道の通りに架って居りますが、其の頃は万....
」より 著者:岡本綺堂
ると、なんと思ったか一匹の牛は左へ切れて、柳原の通りを筋違の方角へ駆けて行って、昌平橋のきわでどうやらこうやら取押えられた。」 「もう一匹はどうしました。」 「....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
、それはなかなか立派な構え、御成道の大時計を右に曲って神田明神下の方へ曲る角の、昌平橋へ出ようという左側に、その頃横浜貿易商で有名な三河屋幸三郎、俗に三幸という....