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「昌平黌〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

昌平黌の前後の文節・文章を表示しています。該当する5件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
安井夫人」より 著者:森鴎外
その後仲平は二十六で江戸に出て、古賀※庵《こがとうあん》の門下に籍をおいて、昌平黌《しょうへいこう》に入った。後世の註疏《ちゅうそ》によらずに、ただちに経義....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
き、塩谷宕陰、松崎慊堂にも知られ、安井息軒とも交わりがあって、しばらく御茶の水の昌平黌に学んだが、親は老い家は貧しくて、数年前に郷里の方へ帰って行ったといううわ....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
。それは五百の兄栄次郎の身の上である。 栄次郎は初め抽斎に学んでいたが、尋いで昌平黌に通うことになった。安の夫になった宗右衛門は、同じ学校の諸生仲間で、しかも....
田沢稲船」より 著者:長谷川時雨
たほど、茗渓《めいけい》は幽邃《ゆうすい》の地だった。 徳川幕府の士人の大学、昌平黌《しょうへいこう》聖堂の森は、まだ面影を残し、高等師範学校の塀《へい》は見....
向嶋」より 著者:永井荷風
も優っていると言ったものは恐らく松崎慊堂《まつざきこうどう》のみであろう。慊堂は昌平黌《しょうへいこう》の教授で弘化元年に歿した事は識者の知る所。その略伝の如き....